日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(╹◡╹)
先日。
天塩町でのお仕事の後、時間があったので、天塩温泉『夕映』の休憩室でのんびりするコトに。
◎お仕事はこちら『親子ヨガ』→★★★
お昼は、夕映のレストランでお子様ランチを食べてみた!笑

残念ながらゴハンの上に旗は立っていなかったけれど(笑)、ちょっと大人めのお子様ランチ^ ^
『大人も頼めますか?と』聴いたら、『大人でも頼むヒトいますから大丈夫ですよ』とのコト。
お子様ランチが食べてみたい方はぜひ、『天塩温泉夕映』のレストランへ♪(笑)
ゴハンを食べて休憩室に行ったら、誰もおらず。
和室用の小さな椅子が置いてあり、くぐろうかとも思ったが、お腹いっぱいだったので今回はやめておきました(笑)
◎椅子をくぐるとは?→★★★
ゴロンと寝転がって天井を見ると、こんな感じ。

いつも見慣れている景色でも、角度によって全然違う景色に見えたりもする。
前から見たら四角でも、横から見たら丸いのかも。
こんな時、ふと思い出すコトがある。17歳の頃。
小児アトピー性皮膚炎で苦しみ、小学4年生の頃から『ステロイド外用薬』を使い続け、内服もするようになっていた。
その薬を一気にやめたのが、17歳。
今思えば、いきなりやめるコトもなかったし、高校だけは卒業してからでも良かった。知識経験がないとは、時にホントに悲惨なコト。
ただ寝転がっているだけ。もっとひどい時には寝転がるコトも出来ずに、裸にバスタオルを巻いて、ポタポタと垂れ落ちる浸出液が止まらないのを、まるで他人事のように観ていた記憶。
今思うと、感情がフリーズしていたのだろう。
悲しさもなく、辛さもなく、ただ生きながらえていただけ。
あれから、倍以上の年月を生かしていただいて、今日でちょうど42歳になりました。
今日は、私を産んでくれた母に電話して、ありがとうと伝えました。それだけで済めばいいのに、ついつい小言をあれこれ言ってしまった(・・;)母は、ホントに素直いヒト。子どもに偉そうなコトを言われても、それを素直に受け止められるヒト。
ホントに優しいヒトです。
昔の苦しみ、その辛さを未だ苦しみを引きずっている感覚は、今はもうない。あの頃の苦しみに育てていただいたと、乗り越えてこられたコトを、誇りに思っている。
しかしこんな風に、ただひたすら寝込んでいた頃、ちっとも動けずに座っていた頃に、いつも眺めていた天井や壁の景色をふと思い出す。
でも今はもう、その恐怖感もない。
とても穏やかなココロ持ち。
乗り越えるとは、穏やかさを取り戻すコトなんだろうと言うコト。
天井を眺めてしばらくすると眠くなり、ウトウトしていたら、賑やかなおばあちゃんたちが休憩室にやって来た。つい数秒前までの静けさがウソのように、よく言えば賑やかに、良くなく言えば騒がしく(笑)なった。
仲良し組なのか、何人かでお話をされていたのだが、皆さんホントにそれぞれ、ヒトのハナシを全く聴いていない!(笑)なのに、たまにタイミングよく相づちを打つその不思議さ!(笑)
歳を重ねるほど視野が狭くなり、我が強くなるとも言うけれど、それは、打たれ強くもなると言うコトなのかな、とか思ったり。
ヒトの想いを汲む以前に、そもそも聴いてないと言う状況。でも皆さんはそれはそれは楽しそう^ ^
その状況が、なんだか面白くなった。これはこれで良いってコトだ。皆さんが楽しければ、それでオールオッケー!
私はとにかく、頭がクルクルまわる。これは昔からそうなのです。
メール打ちながらとなりのヒトのハナシを聴いて、明日までにやるコトを思い出してそれもやりつつ、とか、一度にいくつものto doをこなすのが常。
逆に、なかなか頭のスイッチが切れない(・・;)
何かを聴けば、常に頭の中で整理して次のヒトへと話すコトを考えて知識の整理をしたりしていて。
これはなぜだろう。
こんな風に、いつもいろいろ考えていくつもの課題に取り組んでいるヒトが、他にもいらっしゃるだろうけれど。
ヨガに出会って何が大きく変わったって、思考スイッチを切れるようになったコト。感情は、呼吸により静まるのだと知ったコト。
自分の中に、『静かな場所』を見つけたコト。
これ、私にとってホントに大きなコトなのだ。多分、起きてる間ずっとあれこれを考えていたから。常に何かを探して、それについて考え、いかに要領よくやるかと、常にスイッチがオンに入り続けていて、切るというコトを知らなかった。それに疲れていたのだろうとも思う。
コトバもそう。
とにかく絶え間なく溢れてきて、『何か書いて欲しい』などと言われたら、内容にもよるだろうけれど、一晩中でも書けると思う。
これって、『休まらない』というコトだ。
思考ばかりにさいなまれ、感情に蓋をして。
ヨガを学び始め、呼吸が深くなるにつれて、感情の蓋が開くような感覚が分かるようになった。しばらくの間、ヨガをするたびに、悲しい、悔しい、腹が立ったりもしていた。
これが溜め込んでいる感情なんだとある時に気付き、これじゃ健康であれるはずがないと分かった。
素晴らしかったのは、そんな奥深い世界を丁寧に教えてくださる師に出会えたコトだ。
私は心底、日本伝統のヨガである『沖ヨガ』という素晴らしい教えに出会えてよかったと思っている。

ハナシを戻して、『天塩温泉夕映』での、のんびりじかんのコト。
お元気なおばあちゃんたちのハナシに意識をとられる訳だけれど、そこがまた練習なのだ。
自分の呼吸に集中する。
集中が深まると、おばあちゃんたちの話し声も聴こえるのだけれど、そこに捕まらない、聴こえているけど『とらわれない』と言う選択が出来るようになってくる。
しかし集中が切れると、またあれこれハナシを聴いている自分がいる。
そんなコトを繰り返していたら、遠くで声はしているような感じがあったけれど気にならず、結局眠ってしまった。
ふと目が覚めると、またおばあちゃんたちのゲンキな話し声がした(笑)
その時に思ったコト。
やっぱり問題なのは、まわりではない。いつの時も『自分がどうしたいかなのだ』と言うコト。
問題も答えも、いつの時もそれは『自分の中』にある。
うるさいなあ〜と思えば、自分が場所を変えてもいい。この時の私のように、その賑やかさにとらわれない練習をしても良い訳で。
そして結局、眠たくなれば寝たらいい。
私はヨガを始める前、ものすごーく神経質で、どこでも寝れるなんて意味も分からなかった。他人のせいにばかりしていた。自分を棚に上げて、非難するコトばかり。
ヒトって変わるモノですね。
ヨガに出会う前の私からしてみたら、今ここに居る私は、まるで別人のよう。
とらわれない、こだわらない、はからわない。
ヒトっていくらでも変われるし、なりたいようになれる。ただそうすればいいだけ。

今には、『無限の可能性』が詰まってる。
何事も、思い立ったら吉日で、『今この時』から始めたらいい。
歩々是道場。
私は、この禅語が好き。起こる出来事全てが私を育ててくれる学びであり、経験させていただけるチャンスであり。
良いと思えばどんどん良くなる。悪いとすれば、なかなか状況は晴れてゆかないだろう。
明るいほうを目指せばいい。
気持ちのよいほうへ。

ありがとうございます。
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