日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(^ν^)
ふとつながる瞬間。
役場に用事があり出掛けて、その帰り道。
風が冷たくて寒いなーと思いながら、
石畳の正面玄関アプローチをポンポンっと、弾むように歩いていたら。
ふと、
亡くなるまでの約6年間、
お父さんが寝ていたコトを思い出した。
お父さんは歩けなかったんだなあ、と。
ふと思う。
こんな石畳をポンポンっと、
爽快に歩くコトは出来なかったんだな、って。
今年の3月には、無事に3回忌が済んだ。
私は。
今もなお、悲しみの真っ只中にいる、というコトはない。
お父さんの肉体はもうなくなっても、
その存在感は、なくならないと感じている。
そして、
この私のカラダは、
生みの親である存在と切り離すコトなど出来ないと思う。
私が私らしく、精一杯に。
残された私の命を全うに生かそうとするコトが、父への弔いとなるとも思っている。
私は、命のバトンを受け取った。
そして私も娘に、命のバトンをつないだ。
この命がいつまで続くのかは分からないけれど、
割と毎日、悔いなく暮らせているように思うし、
ある時突然に締めくくりの時を迎えたとしても、
自立する前の娘を残して行くのは、大変に!残念だけども。
それが元々、私がいただいた命の長さなのであれば、充分に命の炎を燃やせたのではないかと思ったりもする。
今に尽くす。
あるものしかないのだし。
ないものは、ないのだし。
それでも。
時に『欲しいっ!』と、強く手を伸ばすからこそ得られるモノも、あるだろうと思う。
あきらめるとは、『物事を明らかに観るコト』であって、
決してネガティブなコトではないと思うけれど。
あきらかに観た上で、なお。
『それでも欲しい!』と。
思わず、とっさに手が出たと言うように、命が『おがる』ような瞬間があるのも、これまたステキなコトだとも思う。
ふと、不思議に思う。
未だに、
お父さんは『あの世』に行って、私は『この世』にいるコト。
これを何だか、不思議な感じに思うコトがある。
その反面。
いたって自然なコトであり、
私が先を越さずに良かったと思うし、
私にバトンを手渡して、生き急ぐように命の炎を燃やして。
フッと吐ききったように炎を消して、あの世に行ったお父さん。
これはホントに!アナタらしいわ〜とも思う笑
カラダは不自由だけれど強く生きたヒト。
長患いするようなヒトでもないのに、約6年間も、寝たきりだった。
でも、だからそうだったんだ。
長患いしてたんじゃなくて、
必ず良くなると信じて、
少しでも自分のコトは自分でやるとして、
毎日きちんと、やるべきコトをこなしていた。
残された炎を、
ただぼんやりと燃やしながら、炎を眺めていた訳ではない。
それをふと、今日思った。
やっぱり結局、つながっているから。
お父さん。
こうやってふと思い出すのは、
きっと、何かしら『気が合った瞬間』なのではないか、と思うから。
私は毎日、
楽しく忙しくさせていただいてます。
アナタの娘であるコトは、
変わらずに誇らしく思っているし、
だからこそ、
この北の広い広い大地で、地に足つけて過ごしてゆけるのだとも思っている。
またいつか会えるモノならば、
ぜーひ、その時まで元気でいてくださーい^_^
私は。
もう少しなのか、
まだまだだいぶあるのか分からないけれど、
今に尽くし、精一杯に命の炎を燃やしてみます。
出来るのなら、また会いたいな。
そしていろいろ、話がしたい。
いきなりコロナ禍となり、
帰れなくなり、会えなくなって。
そのままお父さんは、亡くなってしまったけれど。
でも。
それまでにもたくさんハナシをしたし、
言いたいコトも分かっているつもり。
私についても、
いろいろ思い通りにはならんかったと思うけれど、
それについて謝るコトは、なかなか素直に出来ません笑
でも。
ココロからアナタを尊敬し、尊重し、誇りに思ってます。
これはホントに、間違えなくっ!
お父さん、ありがとうございます◎
あんなに痩せたのに、まあまあ重たくて。
でもやっとこの時、
お父さんを抱えるコトが出来た^_^
お父さんの分も、
立ち、座り、歩こう。
ありがとうございます。
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