南洋の父サウス。やっぱり結局、愛なんだ。

『南洋の父』。

知るヒトぞ知る、愛知県名古屋市にあったスリランカカレー屋さん。

ヨガを学ぶヒトたちが集まるお店としても、有名で。私も、よくよく行っていた。

私は、愛知から離れて3年経つ。

今の私の活動拠点は、遠く遠く離れた北海道。

お店に行く頻度は少なくなっても、いつも変わらずそこに父は居てくれて、カレーを作ってくれていると、ぼんやり思っていた。

そんな父が倒れたという知らせを聴いたのは、一昨年のコト。

普段はそれぞれ忙しく、バラバラに活動しているヨガ仲間が集まり、父のお店を存続すべく活動しているのだ、と言う。

遠く離れた私も何か出来るコトがあれば、と、たまたまご依頼をいただけた稚内市『龍海寺』さんでのヨガクラスを、『チャリティクラス』とさせていただいた。

ご参加の皆さんへ、父のコトをお話させていただいた。

◎その様子はこちら→★★★   

関係ないヒトなど、いない。

たまたま聴いただけでとくに関わりはない、なんてコトもない。縁があるから、必要があるから、耳に入ってくる。

人生って、ある日ある時に、良くも悪くも一転したりする。
 

『良い悪い』と理由をつけたり判断するのは思考や感情で、命からしたら、運命からしたら、起こるコトがただ起こっているだけ、なのかもしれない。  

そんな中、『奇跡』と呼ばれるコトが起こったりもする。
それはきっと、誰しもそうなって欲しいと願うコト。

その『奇跡』とは、なぜ起こるんやろう。

『南洋の父』は、オーナーである父の体調不良により閉店したが、長い闘病を経て、海のそばに、新たなお店がオープンした。

『南洋の父サウス』
去年の秋頃、オープンしたそうで。

ここは、『奇跡のお店』と言えるのやろうと思う。

愛知県知多郡美浜町。

父のカレーは今、ここで食べるコトが出来る。


食券方式になっていた!

昔と何も変わらなかった、スパイスの香り。

店の前を通るだけで匂う。もう、これが懐かしい。

店に入ると、穏やかな父の笑顔が。

そりゃあ泣けるでしょうー

お店という拠点があるって、やっぱりいいな。こうして、会いに行けばいてくれるんやから。

私は拠点をかまえるのが大の苦手、所属も苦手、組織なんて聴くと、(O_O)な私(笑)

でも、この時には、『拠点を持つってホントにいいな!』って、ココロから思った。

命の淵から生還してきた父は、さらに穏やかな笑顔をしていた。

必ず生きて会いたいと思っていた。

お互いこの時まで生かされ、会うコトが出来た。

定番メニューは、何も変わらなかった。

ベジカレー。お豆とパイナップル。

スパイシーチキン。フォークで簡単に切れる柔らかさ。

ひと口いただくごとに、カラダが喜ぶ。

あったかくなる。熱くなる。

命がここに在る、生きている証を在り在りと感じる。

嬉しい。ホントに。

倒れて病院に運ばれた時には、手の施しようがなく、もって2,3週間と言われたのやそう。
骨盤にもリンパにも転移をし、もう外科手術適応外だ、と。

それでも、ほんの少しの可能性にかけて、闘病が始まった。

抗ガン剤は相当に厳しく、毎晩毎晩、悪夢にうなされた、と。

そんな中も、すべては愛であり感謝であると、していただく治療のすべてに感謝を向け、ドクターを信頼し、すべてを受け入れた。

毎日、太陽のヒカリをいただいては、肉体を形成する細胞すべてに、そのヒカリが届くイメージをして。
愛の瞑想。

余命幾ばくもない患者は、相部屋の中でも、日当たりの良い場所にしてもらえたのやそうだ。朝日を浴びるたびに、感謝が広がったそうだ。日のチカラとは、強烈なエネルギー。

ただただ、耐え難きを耐える毎日。

ある日、細胞をとって検査をするからと、内視鏡検査があったそう。

観てみると、ガン細胞が壊れてきていると言われ、その場で取れるだけ取った、と。
その後の検査で、骨盤への転移も、リンパへの転移もなくなったそうで、さらに根気よく治療をすすめ、昨年末に、『もう大丈夫』と、治療が完了したそうだ。

今も、強い強い抗がん剤の副作用は残っていて、高血圧もあり無理は出来ないと言っていたが、昔と変わらず、ハキハキとしなやかに動いていた。

こんなハナシやと、『抗がん剤が思いのほかよく効いたのだ』とか、『かかった医者の腕が良かった』とか、いろいろ言われるんやろうかと思う。

父は、少し間を置いて、『愛だよね』と言った。
抗がん剤が良いとか悪いとか、どんな治療法が良いとか、そんなコトじゃなく、想ってくださるお人の愛、そして、いただくすべての恩恵は、愛でしかない、と。
とにかくたくさんの祈りをいただいた。今もまだ、そのご恩を返しきれずにいる、と。

ヒトの『祈り』のチカラは、大きい。

『良いか悪いか』と判断している時点で、ネガティヴに陥る。

すべてが愛であり、愛でしかないと、喜び感謝をただただ向ける。

他へ、自分へ。

生死を彷徨い、そこから何気ない日常へ戻ってきたヒトのコトバは、重い。

何が辛かったか?と聴くと、『ひとりでいるコト』やったと。

家族や両親が居ない父は、退院してからの『ひとり』が、何より心細かったそうで。

だからこそ、『ご縁があるヒトたちとのご縁を、さらに大切に生きよう』と、強く想ったのやそうだ。血縁だけがご縁ではない。

『ひとりは気楽〜』と、独身を望むヒトはきっと、増えているんやろう。そして、子どもは授からないとする夫婦も、昔に比べたら、増えたんやろう。

適齢期になれば結婚し、子ども授かり、育てる。

それは『そうあるべき』、ではないのだが、人間って、草原の上で自然に生まれて土の上で死に、大地へと還って行く訳じゃない。

高度な知能を手に入れる代わりに、生まれて約1年も歩けない。育てるのに、とても手がかかる。

さらに、ただ生まれたら分かっている訳ではなく、社会を学ぶ『教育』というシステムがあったりして。

『順番に生まれては、病めば看病し、いざとなれば看取る』。

それを繰り返して行くために、多世代家族は、自然に生まれた仕組みなんやろうと思う。

お墓を建てて、それを次の代、次の代へと守りをして。そんな風習は、薄れつつある今。
そして、それが良いも悪いもないんやと思うが、ひとりは気楽だけれど、いざとなれば寂しくもあり、困り事も多いのだと、父のハナシを聴いて、ホントに思った。

ヒトと折り合いつけてやっていくのは、チカラがいる。時に、わずらわしくもある。しかし、いざという時には、救われるのではないか。

病んでみて分かるコトが、たくさんあるんやろう。

命の危機に際してこそ、分かるコトがあるんやろう。

父が、命の底に触れるほどの想いを重ねて、還ってきてくれたコト。そして、その経験を、とても丁寧に、ゆっくりと話してくれたコト。
こうして、私には経験のないコトも、身につまされる想いで、味わわせていただくコトが出来る。

分かると言えば、違う気がする。

ヒトを全部分かるヒトは居ないし、そもそも、自分の全部を分かるヒトもいないやろう。

でも、その苦しみの果てに生まれた穏やかな笑顔を見れば、壮絶な体験であったんやろうと、想像出来る。

ヒトは、悲しみ苦しみによって育てられる。

命のありがたみは、失いかけてみると、痛いほどに分かるのやろう。

愛知に帰って来れた時にはぜひまた、父のカレーを食べたい。

お店から観える海。


海苔の養殖をしている海。

次は、晴れた日に観てみたいな。

ありがとうございます。

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