『介護』の重たい現実。結局誰もいなくなっちゃうんじゃないか、と思うのです。

日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(^^)

 

定期的に、故郷である愛知県に帰っています。

私は、きた北海道の『豊富町』に移住して、今年で6年目。

今では、楽しく忙しく北の大地で暮らしていますが、定期的に故郷である愛知県に帰っています。

その理由は、家族がいるから。

そして、父に会うため。

 

父は4年前に脊髄を損傷し、今は寝たきり。

家で生活しています。

その父を主に支えるのは、母です。

 

いつもはポジティブに考えていますが、

今日は、重たい部分について書いてみようと思っています。

と言うのは。

私は基本、何事もポジティブにとらえていて。

それは、無理にそうしようとしている訳ではない。そのほうが楽だし、そのほうが楽しいし。多分私は、根が明るめなんだとも(笑)

ヒトが元々持っている『気質』って、すごい大切。

きっと、ヒトは元々の気質と違った雰囲気で暮らそうとすればするほど、苦しい。私はもともと明るめな気質だから、それをそのままに生きている感じです。

がしかし、それは暗い部分がないという訳ではない。

暗い部分も含めて、私。

ただ、表側に出にくいというだけで。

 

時にはじっくり暗い部分と向き合ったり、現実を突きつけられて戸惑ったり、憤ったりするのって、すごい大切だと思ってます。

問題意識と徹底的に向き合う腹を決めつつも、そこから一歩離れるという『切り替え』が出来るコト。

気分転換。臨機応変に動けるチカラ。

『適応力』

これは、人間にとってスペシャルなチカラだと思うのです。

順応しつつ、特別な色にばかり染まらない。私は私らしい色でありたい。それはその時々、無限にある色、です^^

 

と言っても、厳しい介護の日々。

母が、気の毒なんです。

こんな言い方が適しているか分からないけれど、今の私の想いを言語化すると、これに尽きる。

日常生活動作がほぼ出来ない父。

そう、父も気の毒なんですよ。

動きたくても動けない父、それを支える母。

介護って、両者が気の毒なんです。

 

そんな中で大きく支えられていると感じるのは、第三者の存在。

私が1週間ほど愛知県に居て、いつもココロに残るのは、ヘルパーさんをはじめ訪問看護の方などの、明るい雰囲気。

私も、最初のうちはいいんですけどね。

何日も経つと、だんだんと、しんみりしてくるんですよ(・・;)

で、多分、暗ーい雰囲気が出てくる。

まさに、吸い取られる感じ。

そんな中で、外から『こんにちはー!!』とやってくる方々が、その重たい空気を一掃してくれるコトに気付くんですね。

これ、ホントにありがたい(´;ω;`)ウゥゥ

とくに『込み入ったハナシ』をするでもないんですよ。

この前買った家電がどうだったとか、畑の野菜がどうしたとか。そんなたわいもない雑談とかに、どれだけ救われるか、というハナシです。

 

ある日突然やってきた。

重たい障害を突如背負ったヒトを、家族だけで観るのは無理!

それは時に、殺人事件だって起こるだろうなあと思うんです。

ありがたいコトだけれど、当たり前じゃないけれど、それでも、ヒトは何気ない暮らしが当たり前だと思って暮らしている。

その当たり前を、ある日突然に。キツネにつままれたように『失う』コト。

それって、かなりなコトです。

大変だとは想像できるけれど、実際になってみると、これ相当ですよ。

 

今でも覚えている。

4年前。

愛知の家族から電話がかかってきた。父が救急車で運ばれたと。

その時には、『生傷絶えないヒトだからね、いつものコトだろう』と思ったけれど。

第二報で『ICUへ』と来た。

それはちょっとヤバいなあと思って、すぐに仕事の調整をして、飛行機をとって。

次の日に愛知に帰ったら、手術中。

そして、まるでドラマのような展開に。

『先生からお話があります』と看護師さんに言われて、部屋に呼ばれる。

レントゲンを持って入ってきたドクター。

レントゲン写真を見せていただいたその瞬間、私の背筋は凍り、時が止まった。。。

その夜、一睡も出来なかった。恐怖に押しつぶされそうで。自分が動けるコトが怖かった。いつか、動けなくなるかもという恐怖が嵐のように襲ってきた。

 

『明日愛知に帰るから」』と母に電話した時、何度も何度も聴いたんです。

『先生は脊髄神経を損傷してるって言ってる?骨折だけって?これ、大違いなの!!!!』と。

母は、『そんな難しいコトを言われても分からない』と言うばかり。

その疑問が、一瞬で解けた瞬間。

完全断裂はしてなかったものの、見事に脊髄神経は損傷してました。。。

 

なんであの日に限って・・・

ある日の日曜日。

町内清掃に行き、川べりの木の枝を切っていたら。法面(のりめん)で足が滑り、川に落ちた父。

工場勤務だったから、安全管理にはとてもうるさいヒトだった。山へは軽装で行ってはいけない、とかいつも言ってて。

それが、ホントに人生って不思議なものだなあ。

作業をするというのに、めちゃめちゃ軽装だった父!(・・;)

この日のハナシは、怪我して落ち着いてから、父と何度も何度もしている。

そのたびに、父も『不思議だなあ』と言う。

『なんであの日に限って・・・』と。アクシデントが起こるたびに言われるコトだけれど、ホントにそうなんだよね、と。

それが人生っていうモノなのか。

なんて酷なんだろう、と。何度も何度も思った。

人生ってこんなに厳しいんだな。

それを人生で一番に教えていただいた出来事。

 

家に帰るのに、1年かかりました。

町内清掃に行き、それが終わったら出かけるつもりだったんだろうと思う。髭剃りを充電して、小銭がジャラッと置いてあった。

それがまさか、1年も家に帰れなくなる事態になろうとは。。

父は約1年かけて、様々なリハビリをして、家に戻ってきたんです。

そりゃそりゃ、大変でした。

まず、重度過ぎて受け入れしてくれる回復期の病院が見つからなかった。

ケースワーカーさんとケンカもした!(笑)

ドクターのネガティブ満載のハナシは、相当に辛かった。

母は小さくなっていたけれど、私は黙っていられなかった。

 

私、普段はそんなに怒ったりしないんです。

多分、気は長いほう。がしかし、あの時はのんびりなコトばかり言ってられなかった。

だって、父の一生がかかっているんだもの!!

あんなにリハビリを頑張って少しでも良い状態を目指したいと願う父に、『この状態では車いすにも乗れないだろうから、終末期の病院を探してはどうですか』とばかり言われた。

当時68歳の父。頭はしっかりしている、こんなに生きたい意欲があるのに、『看取ってくれる老人病院に行くしかない』と何度も言われたコト。

『寄り添ってもらえていない』

そう思わせたアナタは、プロとして残念です!

仕事でプライベートであろうが、ヒトってやっぱり、気持ちが見えてくる。せっかく関わるのなら、私は誠心誠意でありたい。だってそのほうが、自分も気持ちいいし、お互いにとって良いと思うから。

仕事の上での本気でいいんです。それをまるで感じられない対応が、ホントにホントに痛かった。

だって、そこは病院だもの。

ただでさえ、痛い、辛い、苦しい場所。

気のない対応にさらに追い打ちをかけられ、今思い出しても相当に苦しかった時期だった。

そうじゃない病院だってあるだろうけれど。

運が悪かっただけなのかな。

そうやって、2度と行きたくない場所になる、という。

 

家族だけでは無理だと思う現実。

1年かけて家に帰ってきてから、父は家で暮らしている。

毎日、ヘルパーさんやマッサージの方、訪問看護の方がいろいろ来てくださり、なんとかなっている。

介護保険制度がなかったら、一体全体どうなっていたんだろう。まるで想像できない。

週に2度、デイケアに行って、お風呂に入れてもらう。

何か月に一度かは、ショートステイで病院にお世話にもなっている。

 

それでも。

母は『発狂』しそうです。

唯一の救いが『畑仕事』だけれど、母が抱えるストレスは、そばで観ていても、とても苦しい。私にもジンジン伝わってきて、相当に重たい。。。

 

父は悪気はないのだろうけれど、とにかく強いヒトで、言い出したら聴かない。すぐ怒鳴る。

私は父似だけれど、あの短気は似なくてよかったなあ(笑)

両親があれこれ言い合っているのを聴いていると、まるで王様と召使い!!(・・;)

見かねて私は、母に言う。

『イヤなコトはイヤだと言う権利がある。もっと自分をしっかり持って向き合えってもいいんじゃないか』

母は決まってこう答える。

『お父さんが分かってくれない。私がやるしかない』

 

こうして、すり減らしてゆくのだろう。

いつか、ポキッと折れるまで。

 

じゃあ娘である私、もっといろいろやったらいいじゃないか。

と、よくよく言われるんです。

 

でも、考えてもみてください。

みんなそれぞれ、生活がある。

想いがある。

生きたいそれぞれがある。

そんな中、父が寝たきりとなったからって、自分の多くの時間を父に使い、自分のやりたいコトを手放す。介護に明け暮れる日々。

そして、短気の父に怒鳴られ続ける。

私は、母と違って言い返すだろうし、その末に大喧嘩になるだろうけれど、結局、母と一緒にすり減ってゆくだろう。

これは、解決策でしょうか。

 

そうすると、今度はこう言われるんです。

『昔はそれが当たり前だった』と。

今って、昔ですか?

今、昔に見習って暮らすコトが幸せなのか。

それで良いなら、それで良いんですよ。

状況にもよるし、そのヒトの気持ちにもよるだろうし。

 

やっぱり。

答えはないんです。

そうしたいヒトは、そう出来るなら、そうしたらいいんですよ。

ヒトそれぞれ、生きたい想いも目指す暮らし方も違うのだし。

そんな日々の中から、自分の幸福を見出せるヒトもいるのだろう。私にはとても出来ないから、それを本気でスゴイって思います。

 

親が弱ってゆく。

父のように障害を背負わないにしても、親はやっぱり、老いてゆく。

それと、どのように向き合い、看取ってゆくのか。

縁起でもないなんて言わないで。

大事なコトだから、常日頃から考えておかないと。

 

自分はどこまで時間を空け、労力を使い、老いてゆく親と向き合えるのか。

環境が整うなら、家で介護し、看取れるのかもしれない。

親との相性がよいのなら、なお良いだろうし。

 

王様と召使いのようなら、それは多分、すり切れてて途切れてしまうんじゃないか。

 

血が近い関係の中で冷静さを保つのは、結局無理だと思う。

これが、私の結論。

 

第三者の存在があると良い、ホントに良いと思う。

頼れるものにはどんどんと頼って、使えるモノはどんどん使えばいい。

お金で解決できるのなら、それもまたありがたいし。

自分のチカラだけで解決するコトだけが愛情ではないと私は思う。介護や看護をヒトに任せるのを、責めるコトはないとも思っている。

だって、自分も一緒になって潰れたり、時に世を騒がす事件にまで発展したり。それって誰が幸せになるのさ?と思うし。

それに、仕事としてプロとしてやってらっしゃる方がいるのなら、素直に頼めばいいとも思う。

そのために、必要な費用をどうするか。

そこは大事な相談。

ない袖は振れないし、どれくらいのトコロで折り合いをつけてやってゆけるのか、というハナシ。

 

身を粉にして尽くすコトは、美徳なのか。

ヒトにゆだねるヒトは、薄情なのか。

これ、すごく大切な感覚。

 

私は基本、誰にどう思われてもいいです。

いつも時も、自分の想いを貫く。

いつもそう思っているけれど、それは、自分の人生は自己責任でしかないし、自分で腹を決めて自分で責任を持つコトしか、心底向き合えないから。

ヒトに言われて致し方なくやったコトで、上手く行った試しがない。結局は踏ん張りが効かなくなり、イヤになる、くじける。

そんな生き方は、親不孝なんでしょうか。

 

介護や看護に想いをもって、プロフェッショナルでやってらっしゃる方がいる時代が今ならば、そこにお願いする部分を考えてもよいと思うんです。

母が決定的に難しいのは、『全部自分で何とかしよう』『何とかするしかない』と思っているコトと、『父が怖い』という部分。

それはもう、『呪縛』です。

 

なんで、いくら暴力を振るわれても、それでもそのヒトの元へ帰ってしまうのか?

それは、呪縛にあっているから。

私がいないとあのヒトはダメになってしまうという歪んだ認知や、恐怖心。

(あ、うちの父は暴力をふるえませんし、ふるってはいません)

 

そんな『よじれた関係性』が、世にはいくつもあると思う。

そんな、難しくこじれた関係に『第三者が介入する』コトで、どれだけ救いになるかと思う。

 

そして、常に『世間体』を気にする母。

これも、ホントに難しい。

よそのヒトに知られたくない。といつも言うのです。

 

こんなコトをこうして記事に書いている私ですが、それってダメなコトなんだろうか。

『私大変です、困ってます』って、なぜ言っちゃいけないんだろう。

私は、恥じるコトはひとつもないんだもの。

父は大きな傷を背負ってもなお、立派に生きている。母もまた、毎日毎日隙間なく働きながらがんばってくれている。

だから。私は堂々としていたいし、そんな父と母が少しでも楽になって欲しいと心底思っている。

ただ、家族だけでは解決できないと思っている、それを思い知って困っている最近、なのです。

 

ヒトは結局、『感情的』になる。

すると、解決策が見出せない。

だから結局『裁判』とかになるんだろうけれど、そこまで物々しくせず、穏便に解決できる策ってないのかしら、と。

 

介護。

多くのヒトがぶち当たる壁です。

ある日突然に降ってきたように訪れたりもする。

そんな時、さあどう動くか?と言うコト。

 

二次被害は避けるべきです。

救出に行ったヒトが被害に合うのは、最大限に割けるべき。

父が背負った大きな傷、その傷が母にまで及んだら。それは、不幸の上塗りでしかない。

 

実は、いろいろサービスや救済策はあるのです。

が、難しいのは、母がそれを受け入れられないコト。

家の中を第三者にさらしたくないという、強い想い。

もちろん。

それもよくよく分かります。

私はそのうえで、『そんなコト言っとる場合じゃない!』といつも言っているけれど、これはもはや、感情論。

家族だけでは、ケンカになるばかり。

じゃあ、ケアマネさんに少し介入してもらえないかしら。

現状では、それも難しい。

 

あーだこーだと言いながら日々が過ぎてゆくのだろうと思いつつも、何しろ、とにかく重たい。

こうして、イヤというほどに暗い部分を見つけて、重たいコトバが溢れてくる自分を冷静に見つめてみると、改めて、大変なんだなあと思う。

 

みんな良くなりたいのにね。

不幸になりたいヒトなんて、いないのにね。

『もういいから』って言ってれば言ってるほど、それは『よくない、良くなりたい』ってコトなのにね。

 

諦めはしません。

大切なヒトたちなので。

私の命のルーツだし。

だから今日は、重たいコトを重たいまんま、ドカン!と出してみました。

 

とにかく、必ず策を見つけよう。

結局は、『なんとかなるさ』の勢いで◎

 

 

 

ありがとうございます。

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