日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(^^)
故郷である『愛知県』に帰っていまーす◎
今回は、稚内空港から新千歳空港へ、そして中部新国際空港セントレアまでの移動でした。
何が辛いって、北海道が広いんですよっ!!
道内の移動が何よりも大変なんです(;^_^A
人生で何より貴重なのは時間!時間をお金で買えるモノならと、最近はもっぱら飛行機移動が増えました。
しかーし、稚内⇔千歳は、欠航率の高さが大問題。。。
欠航したらどうするかを常に考えていかなければならず。冬になれば、それはもう『運試し』のような感じなのであります。
愛知県の家族でーす。
私の父、そして10歳娘。
父は、もう4年前になるのかな。脊髄損傷にて寝たきりとなりました。
約1年の治療、リハビリ期を終え、今は自宅におります。
◎脊髄損傷について書いた記事→★★★
◎これ、ぜひ知っていてください。持たない介護のススメ。(リフターについて書いた記事)→★★★
◎父の日常から勇気をもらうというハナシ→★★★
見た目だけじゃないけど、見た目もやっぱり大事。
10歳娘は、『パパ似』であります。
昔からよく『まなみんに似ているね』と言われたりするのだけれど、どうでしょうか~
最近はもっぱら、『SNOW』というアプリを使って『目を大きくして!』写真を撮るのがマイブームな彼女。
これは、メイクしたように写るんだったかな。もう、写真って詐欺ですよね笑
『そんなコトせんでもアナタは充分にかわいいですよ~』と私がいくら言っても、娘はパッチリ二重がよいのだそうで。
『もっと目が大きく生まれたかった』と言うので、『神様に文句言うじゃないよ~』と私は応える。すると、『私は目が大きな子が好きなの』と言い換えてくる(笑)
ヒトは見た目じゃないとは言え、見た目ももちろん大事。とくに若い頃はなおさらのコトですね。
私も確かに、小さな頃からアトピー性皮膚炎で肌が赤くなったり炎症でガサガサになったりもしていたから、それを何とか隠そうとしていた頃もありました。
アトピー性皮膚炎であると言うコトを『認める』までに、相当に時間がかかったようにも思う。
今でこそ、事実は事実として認め、しかしそれにとらわれず、気楽に構えてられるようにもなった。アトピーという症状は、私を形成している様々な要素の中のひとつなんだと冷静に受け取れるようにもなったんです。でもそれは、症状がある程度落ち着いているから、でもあって。
私は間違えなくこの疾患に育てられてきたけれど、いつまでも苦しみ続けていると、結局、また新たな疾患が増えそうです。ホントに難解だなあと思う(・・;)
いじける、ひがむ、被害妄想。常にネガティブ思考、負のスパイラル祭り。
『底なし沼にハマった』ような時期がありましたよ~。そんな経験を踏まえて、見た目に分かる疾患の難しさを思うのです。。。
今日の本題は、10歳娘に気付かされたコト、について。
娘が、こんなチラシを持ってきました。
『ママ、一緒に選ぼうよ』と。
カバンを買うのかと思ったら、これはなんと、裁縫用具!!
こんなカバンにどんな風に入っているのか、想像もつかないのですが(笑)
私の子ども時代の裁縫箱とは、えらく様子が違ってます。
こんなチラシが3枚もあって!そんなに選択肢があるコトにもビックリしまして。
いつものように私は、『このピンクのやつがかわいいじゃん』と言う。
娘は、『え~、ピンクよりもっとカッコいいやつが良いの』と。
『じゃあ一緒に選ぼうとか言わずに自分で決めたらいいでしょうに~』
すると娘、『私が選ぶのを見守って欲しかったの』と、訳の分からないコトを言ってくる(笑)
そんな、どこにでもありそうな何気ない会話の後です。
このチラシのような紙ですが、実は『封筒』になっており、欲しいセットの番号を書いて、この封筒の中にお金を入れて学校へ持って行く、という仕組みだそうで。
3,780円。
相場がよく分からないけれど、高いのか安いのか。多分、安くはないのかな。
ばあばが横から入ってきて、『お小遣いがあるんだから自分で出しなさいよ~』というハナシになり。
娘は、お手伝いでもらったお金を貯めている貯金箱を持ってきて。その中に入っているお金を数え始めたんです。
1円玉や5円玉やらで、数えたらちょうど80円あった!
『これならお釣りなしでいけるじゃんと』、私。
じゃあこれを封筒に入れて持っていきなよ、と言うと、娘がイヤそうな顔をする。
『やっぱりママ、80円だけママ出して欲しい』、と。
聴けば、『こんなに細かなお金を持っていくのがイヤだ』と言うのです。
なので私、『1円玉を100枚持っていく訳でもなし、これもちゃんとしたお金なんやから良いと思うけどね』と。
すると娘が、
『だって、この封筒の中身をひとつひとつチェックするヒトがいるんだよ、クラス全員分でもすごい数だよ。それなら少しでも数えやすく入れていったほうがやさしくない?』
私、『・・・・・。』
その通り!その通りよね!!アナタは素晴らしいね!!
よし、ママが80円出します!
と言う感じに。
申込欄には、いくら入れたか?お釣りはいくらか?を書き込む場所があって。私は、『お釣りなしでお願いします』と書けば良いのになあ、と思った。
それ以上に娘は、金額を確認する手間まで考えていた!!
『自他共に生かし合う』とは?
『相手の立場に立ち考え、相手が気持ちが良いように動けば、結局自分も良くなります』
長年学んでいる日本伝統の『沖ヨガ』には、難しい経典や哲学書はなく、こうした分かりやすい教えがいろいろ。それは全部『日本語』で書かれています。
価値観はヒトそれぞれ。自分が良いコトが相手にも良いとは限らないけれど、ひとまずは、自分がイヤに思うコトはヒトにしない、と言うコト。
相手にイヤだと言われたなら、こうするとイヤに思うヒトもいるんだなーと。そこで経験し、学べる。貴重な機会です。
『気持ちよく暮らす』って、そんな難しいコトじゃないと思う。
ただ、多種多様な価値観が混在し、時にしがらみが強くなって混乱しているだけだから。
解決したいなら、それを丁寧に整理してゆけば良いのだし、あまりに自分の命を苦しめると思うなら、そこから一歩離れたら良いのだし。
起こった出来事にいつまでも執着をしていたなら、結局先に進めないのは自分自身だし。
ただ、宗教とか政治とかみたいに、信念が強い部分は『感情論』になりやすい。そこは簡単に答えが見つからないし、多分答えはないから、話し合いすり合わせ、譲り合ってゆくしかない。
学ぶ意欲を持つ、今に尽くす。
沖ヨガに出会い、沖ヨガを通して、それなりに。それなりにですが、『歩々是道場』とし、日々に学んでいるつもりではあるのですが、気付かないコトってホントに山ほどあるぞ、と言うコトです。
それを子どもに気付かされるコトも、多々あって。
人生は経験した分だけだと思うし、そう思えば、長く生きている分だけの価値があるとは思うけれど、そもそも自分に『学ぼうとする意欲』がなければ、どれだけ年月を重ねても、深くはならないだろうとも思うし。
長く生きた分だけ『自我』が強くなりがち。これはこんなモノだ!という『固定観念』が強くもなりやすい。
ヨガの世界では、流派に限らず『真我』という状態・存在に意識を向けるコトをしてゆきますが、でもそれは、『自我』をなくすというコトではない。
人間が人間らしく生きてゆくには、『自我と真我のバランスが大切』なんだと私は思ってます。
いわゆる『悟りをひらく』というような境地に至るとか、そんな難しいコトじゃなくて。まずは自分の命が心地よく気分よくあるようにと努める。でもそれは、自分が良ければそれで良しではなくて、自他共に心地よく在ろうとすれば、その状態は長続きするだろう、というコト。
そんな中、学び気付きはいつでもあって、そこに自分が気付けるかどうかが要。
そして、魂の進化向上を目指し、今生を『私』として生かされているのなら、今しかない学びが今この時に溢れまくっている。そこに尽くせるかどうか、というコト。
『人事を尽くして天命を待つ』
どれだけの寿命をいただいて生まれてきたのかは分からないけれど、少なくとも今、自分が可能だと思えるコトを最大限に励んでいて、さらなる挑戦もしてゆきたい。
大切なヒト・コト・モノを大切にする中で、さらに私はそこに生かされてゆくのだろうとも思う。
◎大切なヒト・コト・モノを大切にする良いと思うハナシ→★★★
なるべく悔いのない人生で在りたいと思う。そう思うとやっぱり、今に尽くしてゆくしかない。
すべての要は結局のところ、『今』だから。
さよなら平成!(笑)
黒いマスクをするヒトが増えたなあと思っていたら、ここにも居たさ!(笑)
ありがとうございます。
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