『ノーリフト』のススメ。ヒトの手での移乗は大変過ぎる、介護者のカラダを守るために必要な器具。

日本のてっぺん・きた北海道を拠点に活動しているまなみんです(^^)

 

今日は、愛知にて暮らす私の父のお話です。

『要介護5』の父は、様々な便利な道具に囲まれて生活しています。

自動で体位変換してくれるベット。
これがないと、定期的に人力で体位変換しなくてはならず(もちろん夜中にも)、本人も家族も、それはそれは大変な負担!ベットが勝手に空気圧を変えてくれるので、長時間寝ていても『褥瘡(床ずれ)』を防ぐコトが出来ます。

そして、ベットから車椅子まで、これまた人力ではなく移乗が可能な『リフター』が備え付けられています。

初めてこれを観た時は、実はかなりショックを受けた私。。。
網で釣られた魚のように人間を持ち上げる想定が私にはなくて、とにかくビックリしたのと、複雑な気持ちになったのと。

でも、もしこれがなかったなら、150センチほどの母がひとりで170センチ以上ある父を車椅子に移乗させるコトはかなり至難で、父は丸一日、ベットで寝たきりだっただろうと思います。

1日最低でも1回は、車椅子に座る。
私が帰ってきた時には、車椅子に乗って、床屋さんへ行こう。

出来るコトは、少しずつでも続けて行く。
それを見つけてゆけるように。
前向きに、一歩ずつ。

健常者にとって当たり前の日常が、ある時に突然障害を負うと、どれだけに大変か。。。それはそれは計り知れないコトなのだと、身近な父の姿を見て思い知りました。

リフターは、介護者の腰を守るためにも必須アイテムだと私は思います。
父と母が、なるべく長く共に暮らしてゆけたらいい。

介護保険料は、ますます上がるだろう。

利用者の負担額も、ますます増えてゆくだろう。

厳しい現状であるこの国ですが、だからこそ、なるべく介護が必要とならない暮らしを常日頃から見つけてゆけるように。いざ介護となった時には、事前知識がいろいろにあり、少しでも楽に過ごしてゆけるように。

『知る』というコトは、とても大切だと思うのです。

移乗の様子。

①専用の布があり、それを背中に充てる。(これ、いろいろにコツがあります、慣れるまでは大変だったのだそう)

 

②布についている紐をリフターに取り付ける。

 

③釣り上げる。

様子を見ながら少しずつ。

175CMほどの父が、スイッと持ち上がります。

 

④車椅子の上へと移動

 

⑤少しずつ降ろしてゆく。

ここで理想の場所にお尻が乗ると後から楽なのだそうで、少しずつ。

 

⑥完全に降りたら布を外す。

 

⑦移乗成功~

 

そしてもちろん、ベットへの移譲も同じくです。

母は、それほど力持ちではないです、というか、むしろ弱ってきているようです。父は今年70歳になり、母は2歳下なので、68歳。お互いに歳を重ねてゆくので、いろいろ大変だろうと思います。

そんな中、こうした便利な介護用品に支えられ、何とか自宅にて過ごすコトが出来ている。

『知るコト』って、すべての始まりだなあと、つくづく思うのです。もしかしたら、もっと便利なモノがあるのかもしれない。そう思い、日々あれこれ調べたりもしています。

 

過去を振り返ってみる。

思えば、何の前触れもなくある時突然、『父が川に落ちて救急車で運ばれた!』と北海道にいる私に連絡がありました。もう2年前のコト。

◎その様子を書いた記事→★★★

急性期として搬送された病院で、しばらくはICUに入って、落ち着いたら一般病棟へと移ったモノの、傷が治ればさあ次の病因へと、お尻を叩くように言われました。確かに、首の骨自体は日々回復してゆくのかもしれないけれど、脊髄神経を損傷した父は、それ自体は回復の見込みがないと言われている。でも、状態が重過ぎて、受け入れしてくれる病院がなかなか見つからなかったのです。

どれだけソーシャルワーカーさんに掛け合ったか知れない。ハナシが上手くない母があまりにじれったくて、私もあれこれ口出しをして、病院に同行してお願いしたりもした。

そんな中、もうこれ以上経つと回復期医療が受けられないという間際になって、やっとひとつ、受け入れてくれる病院が見つかった。しかし、脊損に強いリハビリを受けるコトは出来ず、回復期へ移ってホッとしたのもつかの間に、また次の転院先を考えましょうと言われる始末。

次行く場所は、回復を目指す場ではなく、父のような『重症者を診てくれる施設を探しましょう』というハナシ。

その頃まだ68歳だった父。

私は言った。『父が80歳ならあきらめもつく、でもまだこんなに意識をハッキリ持っていて、生きる意欲を持っているヒトを、ただ寝ているだけの老人病院のような場所へ連れて行ったら、間違えなくボケてしまうだろう。何とか家に帰れないのか?』

その時の主治医は、家に帰るなど絶対に無理だ、と言っていた。寄り添ってもらっているとは全く思えなかったし、正直、今でも感謝を向けられないのが自分の素直な気持ち。

結局、脊髄損傷のリハに強い病院へと、転院させていただくコトになった。母に大きく反対されたが、父にとっては未来を大きく変える今なのだから、今行かずにいつ行くの?むしろ今諦めたら、チャンスは一生やってこないかもしれない、と。

今思えば、自分が面倒をみれる訳でもないのに、偉そうなコトを言い過ぎたかもしれない。

それでも、結果的にはその病院のおかげで、父は大きく変わったように思います。こんな便利なモノがあるよと、今まで知り得なかった情報をたくさんいただけたりもした。

ドクターだから何でも知っている訳でもないだろうし、看護師さんも同じく。専門家にも得意な分野があるだろうし、当たり前だけれど、分からないコトはよく分かっているヒトに聴くと良い。そんな中で、この病院に2か月ほどいれたおかげで、父は家に帰るという選択が出来たのだろうと思うのです。

 

そして、今。

じゃあ今、家に帰れて幸せに暮らしているか?というと、決してそうとも言えず。

父と母は、口喧嘩が絶えないし、お互いストレスも溜まり、それはそれは大変だろうと思う。私自身、定期的に実家に帰ったりもしているけれど、正直、1週間ほどいると、消耗しまくって体調が悪くなってくる。

イライラしながら暮らすコトがいかに体調を悪くするかと、改めて思うのです。

しかしそれでも、日々を過ごし、乗り切っている。

笑顔あふれる家族ではないだろうけれど、それでも、たくさんの方々の手を借りながら、父は今もがんばって生きていてくれるし、母もがんばって日々を乗り切っている。そして私も、遠く離れた地にて、私も励まなきゃと、日々に尽くしている。

『命があっただけラッキー』

よくそう思うけれど、しかしです。父のように重度な障害を背負うと、素直に命が在ったコトに感謝しなさいと言っても、それはまた大変なコトです。

本人にそれを聴いたコトはないし、これからも聴かないと思う。

私は、生きていてくれて良かったと思うのだけれど、もし父が、なんで死なずに生きているのか?と思っていたとしても、それは、誰も責められないと思う。

しかし父は、毎日自分で決めたリハビリをがんばっています。

相変わらず短気で偉そうで、これはずっと変わらないんだろうなあと思ってみているけれど(;^_^A、父にそっくりだという自覚がおおいにある自分自身、父と同じになってやしないか?と、偉そうだなと思うたびに、見返るコトにしています。。。

 

五体満足とは、奇跡です。

それがあってさらに何が欲しいのよ?と言うくらい。自分のコトが自分出来るって、奇跡なほどにありがたいコトです。

 

 

ありがとうございます。

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