ある日ある時、突然に。踏みしめる一歩が宝。

愛知の実家に帰ってくると、まず目に入る景色。

それは、家の前を流れる川。

それほど大きくない川だ。

そして、部分的に不自然に設置された白い柵。


去年の春、4月26日に、父はこの柵が設置された場所から、川へ落ちた。

今はもう伐採されて小さくなっているけど、たくさんの枝葉が繁っていた木の枝切りをしていて。

私は、寝たらほとんど忘れてしまうくらい、忘れっぽい(・・;)

自分の誕生日をヒトに言われて思い出したりするが、今は、娘の誕生日だけは忘れないように!と、近くなると呪文のように声に出して、当日に電話をするのを忘れないように!と思っている。
離れて暮らしていて、ただでさえ寂しい想いをかけている。
なのに、誕生日まで忘れる母親と想像すると、あまりに残念な気持ちになるから。

そんな私が、なかなか記憶から消えない日となった、4月26日。

川に落ちたと連絡があった時、転んでもただじゃ起きない不屈の精神を持つ父やから、まあ大丈夫やろう、と思った。

子どもの頃からよく、『さすが五男さんの娘さんやね』、と言われていた。

 外弁慶で強気なヒト。

私は父ほどではないハズだ!と信じたいが、とても偉そうなヒト。
側で観ていて、なんて偉そうに言うんだ!と申し訳なくなるコトもあった。

しかし、信頼は絶対に裏切らない。

大切なヒトは徹底的に大切にする。

現役時代は、部下からの信頼もあつかったようで、よく飲みに誘われていて、私は飲み屋さんへ迎えに行く係。

仕事が終わっても楽しく飲める関係が結べとるなら、それはスゴイなあと思ったりしていた。

今、明確に思うのは、この父の血を受け継いで私が存在していて、私は、父の娘であるコトを誇りに思っている、というコト。

開拓するチカラ、 ハングリー精神が半端ない。

私も、どこに行ってもやってゆけると思っている。ヨガを学び伝えるコト、マチづくりに関わるコト。

これは、全国津々浦々、どこに行っても出来る。

ヒトとヒトとが出会える幸せ。

そして、健康で在りたいと願う想いへのサポート。それはもちろん、私自身の幸せ、健康づくりでもあって。

五体満足にて生まれたコトは、どれだけありがたいコトか。そしてそれを、ある時突然に失うとは、どれだけ耐え難いコトか。

足を滑らせて川に落ち、頭を強く打って脊髄神経を損傷した。

それは、一瞬の出来事やったろう。

一緒に作業をしていた母、大きな音がしたと後ろを振り返ったら、すでに父は川に落ちていた、と。

運良く、近くに居た方に引き上げてもらった。おかげさまで、その場で命を失わずに済んだ。

が、父は命があって良かったと思っているやろうか。
それを聴く勇気もなく、私やったら耐えられないと思うような辛くて厳しい治療に耐え、1年かかって、家に帰ってきた。

都会で暮らしていても、いくらお金を出しても、得られないモノがある。

ある日ある時に障害を背負うコトが、本人だけでなく、家族にとってもこれだけ苦しいモノなのかと、よくよく分かった。

過去には戻れない。

クヨクヨしとっても仕方ない。

そう思いながらも、何度も夢を見てうなされたし、何かの間違えではなかったろうかと、しばらくは混乱したりもした。

脊髄損傷というのは、なんて残酷なんだと、何度も何度も思った。

 

脊髄神経の一部が損傷すると、その下の機能は全部麻痺する。

知識では分かっていたけれど、怪我ひとつない腕や脚が機能不全となり、みるみる筋肉が落ちてゆき。

一年中外にいるようなヒトで、太い腕をしていた。それが、こんなに細くなってしまって。

なのに、カラダを持ち上げるには、とても重いのだ。
しかし、やっぱり、生きていてくれて良かった。

ワガママを言って娘を置いて北海道に行き、そこでろくにハナシも出来ずに父の命がなくなっていたら、私はどうしていたか、どうなっていたかと思う。

私に命を分けてくれたヒトが、同じ世から居なくなる。

それは、両親を失った経験のない私には、まだ分からない。

90歳、100歳までも生きてくれた後になら、『ありがとう』と笑って言えるような気がする。

怪我をした時、父は67歳。

弱い娘が生まれていろいろ苦労をし、あげく孫の面倒をみるコトになって。

そんな状態で、ろくにハナシもしないまんまで居なくなったりせずにいてくれて、ホントに良かった。

『ただ生きながらえるつもりはない』と、父は言うのだ。

ほんの小さなコトでも、出来るコトは自分でする。生きるからには、生きているうちは、自分の役割を見出して果たす。

自分の存在価値は、自分自身で持っていればよい。父はそう思うのやろう。

そして、今日。

娘の持久走大会があった。

昨日、愛知へと帰ってきて、たまたま今日にあると聴き、それはグットタイミングやったね!と、観に行ってきた。

幡山東小学校。

私の母校でもある。

毎日登り坂をしっかり上がって通うから、足腰強くなるやろう。素晴らしい^ ^


グラウンドの景色も、昔と変わっていない。

娘は、とてもシャイな子だ。

私には真っ向ぶつかってくるから、しばらくは気付かなかった。

保育園の時に、『園では小さくなっていつもひとりで遊んでますよ』、と。

聴いてビックリ!

『そーなんですね!?』

内気でものん気でもいいんやけど。
パパとママには、思ったコトや感じたコトは何でも言って欲しい。
そして、大切な友達に出会えたらええね。

と、いつも言っていた。

今は、学校に行けるのが何より楽しくて、習字がダイスキ。ママが帰ってきてくれるのは嬉しいけど、友達ともたくさん遊びたいの。と言う。

どんどん社会性を持ち、自分の居場所を見つけている。

パパとママには、何か困った時だけそう言ってくれたらそれでいい。
自分の足でスタスタと歩いて行く後ろ姿を見せてもらえるうちは、幸せやなあと思う。

親って、つくづくと、切ない。
愛って、切ないモノだ。

娘は、長距離が苦手なようだ。私と一緒(笑)しかし、一歩一歩と、しっかり走っていた。

走り方のフォームは専門の先生に観てもらえたらいいかな。
あの子はフォームを少し学ぶだけで早くなるやろうなあ、とか、たくさんの子どもたちが走る姿を観て、カラダマニアの血が騒いだりした。

速い子は、負けん気も強い。

一等になれなくて、泣いていた子がいた。思わずもらい泣きをしてしまった。

私は、闘争心がない。

アスリートにはまったく向いてないんやろう。

競うためには、『負けず嫌い』という不屈の精神が必要やろう。

娘が小さく手を振ってくれた。嬉しかった。

昨晩、くっついて一緒に寝たのだが、娘が言った。『ママがやさしく触ってくれるととてもあったかい気持ちになるよ』と。

一緒に居られるって、なんて幸せなコトやろう。

持久走大会が終わって、ひとり家までてくてくと歩いて帰る、帰り道。

一歩一歩と踏みしめる大地の感覚が、とても身に染みた。

当たり前のコトなんて、ない。

ない。

ない!!

ホントにありがたいコトだ。

午後からは、父と床屋さんに行く。

お願いすれば、家まで来てもくれるのやけど、お店まで行けば、顔も剃ってキレイにしてくれるのだ。前回帰った時にも車椅子で行って、父はとても喜んだ。

そして今回も、また行きたいと愛知に帰ってくる前に電話をもらった。

とてもオシャレさんなヒト。その気持ちを大切に思って居たい。

◎前回の時はこんな感じ→★★★

最後の最後のその時まで、そのヒトらしく生きるコト。

それをサポートさせてもらいたいが、いつかは私も、してもらうコトになるのかもしれない。

生涯現役を目指して、毎日の何気ない暮らしを大切にしようと思う。


朝から山盛り!母ゴハン。

母はとにかく、食べさせたい!ヒト。お腹減ってないと言うと、『そんなコトはない。食べれるハズだ』と、意味の分からないコトを言われる(笑)

ありがたいコトです。

母の口うるさいのも、お節介なのも、きっといつか『ありがたかったなあ』と思う日が来る。

ありがとうございます。

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