最愛のヒトを失った悲しみ苦しみ、その喪失感。
想像を絶する。。。
例えば、もし自分の最愛の娘を失ったらなどと、そもそも、想像も出来ない。
もう、生きて行けないやろうとは思う。
すべての色を失い、感情が凍りつき、固まってしまって、一歩も前に進めない、動けなくなるのではないか、とは思う。
じゃあ自分も、後を追って死ぬのか?
そんなコトは許されないとは思う。思っているが、生きながらにココロが壊れて、ただ肉体が寿命を迎えるまで、虚しく維持されるだけになるのではないか。
と。
今日、2年前に42歳のご主人を癌で亡くした、と言う方とお会いした。
ハナシを聴いていたら、涙が溢れた。
お店にいたのだが、込み上げてきて仕方なく、ワンワンと声をあげて泣きたくなった。
そして、口から出てきたのは、
生きていてくれてありがとう。
今日、巡り会えてホントにありがとう。
話してくれて、ありがとう。
と。
私は思う。
最愛のヒトを失って、よく、よく生きていてくれるって。
そうすると、彼女は言った。
『彼が、たくさんの愛を残してくれたから』
そう言った彼女の表情は、誇らしげにも見えた。
どれだけ、どれだけステキなご主人やったんやろうか、と。
肉体を失っても、たくさんの愛を残してゆけるんや。
残された私たちは、先に逝ってしまったヒトの愛を糧として、生きてゆける。
4人の子どもたちの成長を、どれだけ観たかったやろうか。
どれだけに悔しかったやろう。
自分の命が惜しいんじゃない、子どもが独り立ちするまではなんとしても。
と、たくさんの親が、そう強く思っているのではないか。
肉体に距離はあれと、ココロにはない。
常々そう思っているけれど、やっぱり、愛しい、恋しい。
大切なヒトに触れたい。
『あったかいね』って、目を合わせて伝えたい。
『大丈夫よ』と、目を見てそう言ってもらえるだけで、すべてが大丈夫なんや!と、そう強く思えるチカラが愛にはある。
今を刻んでゆこう。
結局今に生かされる私たちには、それしか出来ないから。
いつか私も、その時が来る。
思えば、そんな特別なコトでもない。
ヒトは、誕生という大きなチカラによって生かされ、誰でも平等に、亡くなるという大きなチカラによって、人生の幕が下がる。
志半ばで。と、きっと、どこまでいっても多かれ少なかれ、悔いは残るモノだ。
だから、やっぱり、祈る。
世界が平和でありますように。
私たちひとりひとりの胸の内から、たくさんの愛がこぼれ落ち、それが、広く広く、この世界を包み込みますように。
日々、出来るコトしか出来ない。
そこにベストを尽くすコトしかない。
今日は、最愛のヒトを失うという底なしの悲しみ苦しみ辛さに触れた。
私の感情は日々、様々に揺れ動き、かき乱される。
それでいい。生きとるからこそ、なんやから。
涙は、ココロを洗う水だ。ココロもたまには、洗濯したほうがいい。
その後、飛行機に乗った。
故郷の愛知へ、最愛の娘に会いにゆく。
ANAに乗る何よりの楽しみはこれ。これのために、毎月乗りたいくらい。
翼の王国。
きっともう、私が子どもの頃からあるような気がする。
そこに連載されている、吉田修一さんのコラム。
毎回の連載が、そのうちに文庫として出されるのやけれど、せっかくなら、翼の王国やから、空で読めたらいい。
私は書くのが好きで、読み物も好き。
吉田修一さんの書かれる文章は、色や景色が鮮やかに浮かぶ。
まるで、動画を観ているかのように。
また今回のコラムも素晴らしく、今でこそ売れっ子作家やけれど、下積み時代の思い出と共に、亡くした友人との思い出が綴ってあった。
吉田さんの作品は、文章が踊っているようにも見えるし、悲しみ苦しみをも豊かに表現されている。
ああ、なんて素晴らしい。
それでまたスイッチが入り、感情が溢れてこみ上げてきた。
泣きたい時は、泣いたらええんやよ。『なんで泣くのか?』と聴かれたら、『泣きたいからだ!』と言えばいいよ。
いつもそうやって、娘に言う。
私だってそうだ!
泣きたい時は泣いたらいい!
ワンワン泣いたら、スッキリした。
やっぱりそう、涙はココロを洗う水。
そして日々、いろんなヒトが私に教えてくれる。
命の尊さを。
生きるコトの素晴らしさを。
人生って、なんて、なんて素晴らしいんやろう!!
私に溢れる感情は、たとえ肉体を失ったとしても、消えない、なくならない。
最愛の娘をいつまでも、愛して愛してやまないやろう。
私に底なしの幸せを与えてくれるヒトたちの顔が、たくさん浮かぶ。
なんて、なんて幸せな毎日やろう、と。
愛知の家族が私の真ん中に居てくれて、私は日々、前を見て歩いて行ける。
日々、最愛の娘を、絶対的な安心感で見守ってくれている主人に、ココロから感謝です。
娘が、ハムスターを飼い始めたそうだ。
私はアレルギーもあり、動物と共に暮らすのは不安やと言ったら、
娘がハムスターを飼いたいというと、まわりのみんなが、『世話できないからダメだ』と言う。まだやってもないのに、決めつけたらダメだ。自分ひとりくらい、信じなかったらかわいそうでしょ。
と言った。
コトバの少ないヒトやけど、愛の深いヒト。私とは、正反対。
娘は、パパがダイスキ。
恋人のようなふたりをぼんやり観ているのが、何より幸せやなあと思う。
いつまでもそんな幸せが続きますように、と、やっぱり、祈っている。
ありがとうございます。
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