日本のてっぺん・きた北海道を拠点に沖ヨガインストラクターとして活動しているまなみんです(╹◡╹)
昨晩は、稚内市にてクラスでした。
『まなみんヨガin稚内』
月に2度、このクラスをさせていただいてます。世話人をしてくれているさっちんコト新山幸子さんをはじめ、親愛なるチーム稚内ヨガのみんなに支えていただいてのクラスです。
みんな、いつもホントにありがとう!

たったひとつしかないカラダ、2本しかない腕、脚で、私ひとりがどれだけあくせく頑張ってみたトコロで、たいしたコトない、そこまでではないです、実際。
謙遜でもなんでもなく、ただの事実です。
すごいエネルギーで大きく動かすチカラを持っているヒトが世にたくさんいるけれど、それは、そのヒト自身が動いているというより、むしろ、たくさんの手が、ヒトが動くきっかけや仕組みを作り、大きなエネルギーの流れを作るコトが上手かったりする方が多いのではないか。
私が日々の活動でやりたいコトの中ではとくに、ひとりで出来るコトなど言うほどない。いや、ほぼないなあと、よく思います。
ヨガクラスをひとつさせていただくにも、ひとりで全部、とはいかない。
どれだけの方々にサポートしていただいて、やっとこさ、カタチになってゆきます。
そして、当然のように思うのは、やりたいと始めた当事者であるから、そのための努力は惜しまず、やる必要があるコトはただやる、と言うコト。
忙しくても何でも、やる必要があるなら、なんだかんだと言わず、やる。
これ、めちゃめちゃ当たり前だ、と言うコトです。
『なんで上手くいかないんやろう?』と思い悩むコトも、必要で大切やけど、いつまでも思い悩んでいても、それはなんの役にも立たない。
ひとつでもふたつでも、課題が見つかったなら、それをとにかく、やってみるコト。
具体的に動いてみないと分からないなら、とにかく、ただ具体的に動けばよい、というコト。
面倒だと思う時があっても、やる必要があるコトは、やっぱり結局、やるんです。
プロの仕事なら、感情の波に動かされないハズだし、結局、やるコトやってないと、不安定感は減らないやろうと思うのです。
最近、稚内市に泊まる時にはいつもお世話になっている、『氷雪荘』さん。国民宿舎です。
決して新しくはない施設。でも、いつも快適で心地が良くて。
ここに泊まらせていただいていつも思うのは、当たり前のコトをただきちんとやっている感がいつもある、ってコト。
過剰なサービスがある訳でなく、とりわけお得感があるでもない。
ただ、訪れた方がのんびり出来るように、心地よいようにと、丁寧に清掃されて、ちゃんと場を作っているその空気がここにはあって、それが伝わってくるから、ホントに心地よいのです。
いわゆる、どこにでもあるようなごく普通の宿なのだけど、、、
ここが大事!→『また来たいと思うかどうか』。
これは、ヨガも同じやろうと思います。
また来たいと思っていただけるような場を作るには、一体全体どうしたらよいのか?
そのために必要であると思うコトは、良いと思うならば、ただそれをやればいいだけのコト。です。
それが大変過ぎるなら、そもそもやり方に無理があるのか、現状とマッチングしていないのか。
氷雪荘のオーナーである遠藤さんは、お客さまにとって良いと思うコトを、相手の立場に立って考えて、ただやっているだけ、やと思う。
自分だってお客さんの立場にもなる訳で、自分だったらどうして欲しいかと考えて、そのようにもてなしたら良いとしていらっしゃる、(と思う)。
時刻表ひとつとっても、観光案内でも、お伝えの仕方ひとつ、相手にとっていかに分かりやすいか、と。
そのために常日頃から、いかに『情報を仕入れているか』。←観光業であれば、ここかなり大事やろうと思う。
それをただただ、いつもやっているのではないかと思うのです。
それが伝わってくるから、そこに安心感を感じたりするから、やっぱり、また行こうと思う。
今朝、氷雪荘での朝ゴハンの時のコト。
2階の部屋からフロントを通って、1階奥の宴会室に行ってゴハンをいただくのだけれど、いつもは必ず、遠藤さんがフロントに出て来て、『おはようございます』と、丁寧に挨拶をしてくださる。
今日はたまたまフロントに居なかったのだけれど、ゴハンを食べていたら、『気付かずにすみません、おはようございます』と、宴会室までわざわざやって来てくださり、そう伝えてくださった。
宿のキャパもある。
アットホームなお宿だからこそのあったかさではあるやろうけれど、自分がやると決めたコトはきっと、ちゃんとやる。
朝、お客さまに挨拶をすると決めたら、ただそうされているんやろうなあと思いました。したりしなかったりしないで、すると決めたらする。
前回泊まらせいただた時には、私、歯ブラシを部屋に忘れた(・・;)
それをわざわざ、ヨガクラスに行きますと話していた場所に連絡、『帰りに寄ってください』と伝言してくださっていた。
宿からすぐ近所の場所やったから、帰りに寄れると思ってのコトかな、と思います。
ここが大事やけど、『過剰なサービス』とは天と地ほど違う!
過剰なサービスはそもそも続かないし、けっこうな高確率で『忘れ去られる』と思う。
一泊泊まったら1億円もらえたら、一生忘れない!!(笑)が、んな訳ないじゃん。
何かが少し多くても、それがお得でも、けっこう忘れるモノです。
でも、『わー嬉しいな!』とココロこもったおもてなしであれば、それは、けっこう忘れないモノだなあ、と。
よく行く飲み屋さんでも、いつ行っても同じ笑顔で迎えてもらえるとか、お店が忙しくてもムラがなく丁寧であるとか、やっぱり、安心します。
人間だから、時にはイラつくし、いろいろある。
しかし、やっぱり、それがプロとしてやっているなら、ムラは限りなく『少ない』ほうがいいです。
先日。
ヨガ業界最大級のウェブサイトを運営する『ヨガジェネレーション』の社長であるミキゾーさんが、あるブログを紹介していたので読みました。
◎アマチュアとプロの違い→★★★
これ、少々の違いはあれど、根本的な部分としては、プロと言われるどのヒトも、同じようなコトを言うコトではないかと思います。
ヨガでも居酒屋さんでもお宿でも同じ。
まず何より『挨拶』を丁寧にして、相手に気持ちの良いようし接し、気持ちの良い場所、関係を築く努力を惜しみなくする。自分のために!
一匹オオカミの王道を行くとか、コワモテ路線を貫くとかで、イレギュラーに立場を得て上手く行くヒトがいるかも。
しかし、大多数のヒトにとっては、ごくごく当たり前のコトをまずはしっかりやるコト、ではないか、と。
ブログの文章の中で、痛く共感した部分がありました。
それはこちら↓
『プロはその瞬間を感動して生きています。だからすべてが発散になります。アマチュアは、「疲れる、きつい」と言って、楽な方を優先します。だから発散ではなく、疲労となって蓄積され身体が疲弊していきます。』
私、よくよく『忙し過ぎる』と言われます。
実際、重なり過ぎて、やば〜い!となるコトもあります(・・;)(笑)
それが良いか悪いかでなく、いつも、『気付けばこうなっている』と言うのが率直な感想です。
そんな中、これを読んで、その通り!と思いました。
私、出来うる限り『今』に尽くしており、その今に果てしない感動があり、ドラマがある。それって、私から生まれたコトをただ、『表現している』のです。だからまさに、『発散』です。
疲弊せず循環してゆくので、果てしなく巡りが広がってゆきます。が、最初に書いた通り、カラダはひとつなので、私の今には限度がある。
そこで、何をどのようにしてゆくか、という具体的な検討が必要になります。
そこは、常にいろいろ考える。
私、めちゃめちゃ思考派なので、けっこういろいろ考えてます。
がしかし、堂々巡りで思い悩んでいるコトは、ほぼない。けっこうな割合ですぐ決断するし、自分のテリトリーのコトなら、決めたらすぐやります。
ただ、相手のあるコトやと、なかなか動きがとれないというのは、やはり多い。
それは当然です。
まわりに迷惑をかけるよりは断然かけないほうがいいし、なるべくに良い関係でいたいから、どうするかな、と考える。
しかし、『違う』と命が言ったら、思い切って路線を変えたりもします。
『命』が今、『私』という人生を生きている。
私の人生の主役は『私』やけど、本質は『命』です。
人生は、『真我』に触れるための道なき道。
正しいか間違っているかの判断ではないし、そんなコトは、視点を変えればまるっきり変わるし、『普通』とか『一般的』などと言っても、そもそも、到底そんなカテゴリーで人生はくくれない。
それが出来るのなら、『争い』なんてないやろうと思います。
普通がそれぞれやから、価値観が対立するから、モメるし、気付くし、育つし、深まるし。
しかーし、命は命でしかない。どこまで行っても。
『ヨガを生きる』とは、自分のプロになるコトなのかも知れません。
プロフェッショナルに自分を生きる。プロフェッショナルに尽くす。
疲弊するやり方では、もちろん続かない。
足りなくなったらどこで補うのか?もしくは、足りなくならないようには、出来ないモノか。
命を生きるコトが仕事。
自分の命に尽くし、自他共の命を敬い。
ヨガって、めちゃめちゃステキな生き方やなあと思ってます。
ありがとうございます。
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