日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(^^)
今日は、ヒトや行動から観る『陰と陽』について。
私は、お会いしたコトがある方ならすぐに分かると思うのですが、『超絶陽性体質』であり、エネルギー的には間違えなく『火』です。
言って見れば、ひとりで燃え上がってひとりで焦げている状態、、、笑笑
いくらじっとしているようにと言われても、それは辛いし、無理にじっとしていても何のメリットもない、というか。
これが私の『質』なので、良いも悪いもなく、これが私のしっくりくる『在り方』なんだろうと思います。
大きく広げるコトは大得意。しかし、小さく丁寧に積み重ねるコトが苦手( ; ; )
日々で言えば、宣伝広告は得意。ステキだと胸が躍るコトを広げてゆくコトが楽しい。しかし、日々の小さな事務仕事やスケジュール管理が超苦手( ; ; )
時に、ビックリするほどに落としてしまったりするのだけれど、しかしそれもまた火のエネルギーの私なので、勢いと強さで何とか乗り切れてしまったりもして笑
ヒトってつくづく、『質』を知るコトが大切だと思うし、自分の質に合った日々であると心地よいだろうと思うんです。
なにせ、楽チンに暮らせる。
ヒトと揉めるコトも断然減る。
『良い悪いではなく合うか合わないか』だから、この事態は仕方ないさと分かるコトで、収まる場面がまあまああったりする。
『正しい間違っているの議論は永遠に結論が出ない』と言うコトも、よく分かるし。
質が違えば、もちろん考え方の質も変わってくる。
ハッキリさせたいヒトがいれば、ぼんやりが心地よいヒトもいて。それもまた、質から生まれる要素が大きいのです。
私のような超陽性さんは、やはり、バランスを保つのに適した『陰性さん』を求めるんです。
私にとって、日々の暮らしの中でのバランスと言えば『本を読むコト』。
これ、まさに『命のバランス力』だと思うのだけれど、無性に静かに本を読みたい!という想いが湧くのです。
それがたとえわずかな時間であっても、私にとって心地よい時間に。
私はいつも、想いが湧いて仕方がないのです。
コトバも同じく。これ、ホントに途切れない。。。
いつもいつも、あれやこれやと湧いてきては、私の中でグルグルとまわっている。
こうしてブログ記事を書くにしても、書いても書いても果てしなく湧いてくるから、結局いつまでも書いてしまう。(だから長いっ(・・;))
そしてヒトで言えば、長く深く付き合ってくれる友は、ホントに陰性のヒトが多いです。
もちろん、私にも陰性な性質があります。どちらがよく表に出ているか、というコトでもあり、私は陽性という性質が表に出やすいヒトである、と言うコト。
陰性体質のヒトにも、もちろん陽性な部分があるけれど、それは陽性が表に出にくいだけで、というコト。
陰性と陽性は、ひとつ物質だけを観て見定めるのではなく、『これとこれを比べるとこちらのほうが陽性だね』と言うコトが多数。
ただ、私と言うひとりの人間の中にも、陰性な部分と陽性な部分が混在するよ、というコトです。
なんて、、、
コトバで書くととても分かりにくい(・・;)
しかし、分かってみるととてもよく分かる!という。
いわゆる東洋医学というか東洋思想の教えって、答えがひとつに定まらないコトが多い。全体像をぼんやりみて、どこへ向かうとおおよそ上手く行きそうかと探っていくような、適切なコトバかどうかは分からないけれど、『やんわりしている』感じ。
ヒトもモノもそうだけれど、常に揺れ動いているので、『これ』とは断定しにくいというのがそもそもの考え方であり。
そして、その考え方ひとつとっても、そこに陰性と陽性が混在している訳です。
そして、その揺れ幅があまりに大きいと不安定であり、揺れ幅が小さくなれば安定感が増す訳で。揺れ幅がないとしたら、それは人間で言えば『死』の時なのかも知れず。
揺れ動きながらバランスを保っている。というのが、東洋的な自然法則の考え方なのだろうと思います。
ココロの友。さとみんぬと私。
私は今、きた北海道にある小さな町である『豊富町』で暮らしています。
暮らしているシェアハウスのオーナーである『さとみんぬ』コト堂脇さとみちゃんも、そのひとり。
さとみんぬは、とにかく家が好き!
ほとんど家に居ない私とは見事に対照的で、ひとつのコトにじっくり取り組んで進めてゆく彼女に対して、私は、相当にマルチタスク。
たまに増え過ぎて物理的に回せなくなりそうなコトがありつつも、それもまた、強さと勢いで何とかなるし、何とかするし。基本、ガンガンと進むタイプなんだろうと思います。それが心地よくもあり。
さとみんぬはいつも、そんな私を観て『有り得ない~』と言うのです。私も同じく、さとみんぬのような毎日を、とてもじゃないけど過ごせない(笑)
そんな私たちだから、まるで『凸と凹』。
これこそ『陰と陽』。
お互いの穴を埋め合わせるかのように気が合うのだろうし、高め合えるから、その関係は長く続くのだろうと思います^^
私、考え方はポジティブで超絶前向きなのだけれど、基本、加速しがち(・・;)
そんな私に『マイナス要素』を教えてくれ、良い意味でブレーキをかけてくれるのが、陰性の友の存在。
ホントに、ホントにっ!助けられています(´;ω;`)ウッ…
『陰と陽』という東洋に根付く自然法則は、まさに『調和・バランス』なので、上手く交じり合ってゆくと安定感が増すのです。
アクセルしかない車なんて、恐ろしいし。
かと言って、ブレーキだけ強くても、進まないし。。。
これはもちろん、良い悪いではなくて。良いも悪いも、好きも嫌いも含めた上でのバランスです。
陰性と陽性という、対極の性質が上手く混ざり合うコトで、万物は上手くバランスがとれるようになっている。
パンチがあるような強さだけでは不安定だけれど、そこに、どっしりとした陰性な性質が加わるコトで、それまでにはない安定感が新たに生まれる。
それを時に『しなやかな強さ』と言ったりもする。
何事にもまず『二極性』があるから、そこをよくよく観るコト。
そして、より多面的な視野を持って観察を深めてゆくためにも、陰性と陽性と、その『両方の質が必要』だと言うコトに意識を向けて動いてみるコト。
そこに意識を向けるコトで、きっと、絶妙なバランスを生み出してくれます^^
意識をするとグッと高まる。
新たなエネルギーが生まれ、動き始める。
『意識力』って、人間が持つ素晴らしいチカラ。
くろちゃんとよーこがあまりに似過ぎていて、よく間違える件(笑)
くろちゃんも、よーこも、同じくヨガインストラクター。あ、私もでした笑
くろちゃんは、アイアンガーヨガをメインに学び深めていて、札幌を拠点に活動し、小さなヨガスタジオを営んでいます。
◎ミライヨガ→★★★
色白で、しっとりとして、まさにアジアンビューティー!
物静かに話をして、気恥ずかしそうに笑う。
これ、私にはまったくない性質だから、私はそんな彼女にめちゃめちゃ惹かれるし、超絶魅力を感じる♡訳です。
つい先日、札幌で会いました。
夜行バスに乗るまで、時間がある時には、ひとまずくろちゃんに連絡してみる私。
こうしてタイミングがあえば会ってくれて、あれこれのんびり話をしながら、ゴハンを食べて。
そしていつも、大通りバスセンターの駅のそばまで一緒に歩いて、私を送ってくれるのです。
私は、くろちゃんのしっとりした雰囲気がとても好きで心地よいから、会えるととても嬉しい。心地よい。
私がマシンガンのようにあれこれ話すのを、ニコニコと聴いてくれる彼女。もし私が男性なら、こんな彼女が欲しいなあ、とも思う(笑)
そして、よーこ。
彼女もまた、私がもし男性ならこんな彼女が欲しいというヒト(笑)
◎KohiruLife→★★★
よーこは、共に沖ヨガを学ぶインストラクターで、奈良県にいる。
最近改めて気付いたのだけれど、札幌のくろちゃんと奈良のよーこ、あまりに雰囲気が似ていて、似過ぎていて、ふたりを思い出すと浮かぶ顔が逆になっていたりする!(笑)
『あれ、どっちがどっちだっけ?』と、私の中で混乱するのです。
このふたりのフワッとした静かな雰囲気が、私の中でビックリするくらい同じだから。
顔が似ている訳ではないんですよね。
質が。
質が似ている。
驚くほどにソックリ!!!
流派は違えども、ふたりともヨガを学んでいるのもあって、目指す生き方もまた似通っているから、なお一層似ているのだろうと思う。
私も、ふたりと質はまったく違うけれど、同じヨガと言うフィールドにいるから、そんな雰囲気がいくらかはあるんだろうと思うんですよ。いくらかは、です笑笑
よく『ヨガを学んでいるヒトっぽいですね』と言われるけれど、まさにそんな感じ。
よーこが外の景色を見ながら歩いているのをパシャリ。
こんな空間もまた、よーこがいるとこんなにしっとりとするんです。
私の脚とよーこの脚。
こんなトコロにも質が出る(笑)
あ、左が私〜
よーこのブログ記事に胸を打たれたハナシ。
先日。
よーこが主宰する奈良県のヨガサークルに、私たちの師である石井久恵先生が行かれてイベントクラスの開催があったのだけれど、その様子を書いた彼女のブログ記事が、とても私の胸に響いたんです。
地道に、実直に、そんな中にフワッとユーモアがありながら、そして静かに、しっとりと綴ってありました。
そんな風によーこはいつも、きっと、丁寧に、日々を紡いでいる。
◎そのブログ記事→★★★
くろちゃんとよーこ。
ふたりは、とても丁寧に、物静かに日々を紡いでいる。
まるで『ほころび』を一針ずつ丁寧に直してゆくように。
きっと、ほころんでいたコトが分からなくなるほどに、ふたりは少しずつ少しずつ、繊細に紡いでゆくんだろう。
私はと言うと、『まあこれくらいの穴なら大丈夫かな~』と見ないフリをしてみたり、何とかなるや〜とウルトラCで飛び越えてみたり!
ホントに困ったら、誰かに頼んで直してもらえばいいか!とか(笑)
いいんです。私は私、アナタはアナタで。
大切なのは、それぞれの質に合った生き方や活動の仕方があるし、無理に何かに誰かに合わせる必要もないってコト。
それぞれの質を尊重し合いながら、足りない部分は補ってもらい、有り余る分は分け広げてゆけば。
そして、互いの存在に勇気をもらい、慎重さをたくさん持ち合わせている方は、ぜひとも私にそれを分けてくだされば!笑
調和とバランスの大切さを忘れず進んでゆけたなら、いろいろが相当に上手くいくだろうと思うのです。
そう。
私には『慎重さ』が足りないんですね( ; ; )
もちろんゼロではないだろうけれど、極めて少なめ(・・;)
私、上手く進めるための策は山ほど思いつくし、そこに辿り着くまでのプロセスを考えるのは超得意だけれど、リスクマネジメント力が弱くなりがち。
だから、やっぱり、いろんな質のヒトが必要!
すると、どんどんと安定感が増し、時に突破力も強くなり、さらにアイディアも増えるから、選択肢も増える。
すれば、物事が上手く進んでゆく可能性がグッと増える。上手く行くに決まってるじゃん!となる訳です^ ^
それこそが、『チームである価値』となる。
ヒトと交じり合うコトで生まれるチカラ。
ヒトは結局、ヒトによって育てられるだろう。そう思います。
それはつまり、様々な質を持ったヒト達同士が交じり合うコトで生まれるチカラそのもの。
ただ、元々自分にはないチカラや価値観だから、時に動揺したり、受け止めきれなかったりもする。その結果、揉めたりもする。
そうやって、時にぶつかり、時に距離を置きながらも、多種多様な価値観を受け入れてゆく訓練となり、それが結局、大きなチカラにつながるんだろう、と。
ひとりでいるコトは、ある意味とても楽であり、とても困難でもある。楽チンかもしれないけれど、それ以上にはならない。
ひとりは、ひとりの枠を超えられないから。
ふたりになった時点で、単純に倍にもなる訳で。
まとめ。
私のように、あれこれそれと、ヒトや物事と交じり合うコトで起こる化学反応のような変化を『楽しい』として、日々を進んでいくヒトがいる。
そして、ある程度定まった中で安定し、安心感を糧としながらゆっくりめに進んでいくヒトがいる。
例えば『ヨガ』というフィールドひとつとってもみても、その両側の先生が必要。
なぜなら、生徒さんたちはきっと、先生たちの『質』を観て、感じて、心地よく学べる場を探し選んでいるから。
何でもそうだけど、たくさんのヒトが集まれば『成功』と言われがちです。
1クラスに30人50人もヒトが集まれば、『スゴイ人気の先生だね』となりがち。
もちろん、それもスゴイチカラですよね。確かにそれもひとつの評価だけれど、チカラって言うのは、集めた人数だけではない。
少人数でアットホームな場から、大人数で高揚感高まる場まで、『ヨガと言うフィールドに様々な場が用意されているコトが大切なんだよ』ってコト。
陰と陽は、求め合う。
そして高め合い、安定感をもたらす。
そしてそれは、継続するチカラにもなる。
何かに関わりたければ、自分が心地よく収まれそうな『隙間』をまず探すコト。そしてそこから、自分らしさを広げてゆけば良いか~、と。
あえて広げず、じっとまわりを観察しているようなヒトに、いつも私は助けられている。私のチカラは、それに『気付いている』コトです^ ^
ひとりでバランスをとり、常に調和をはかってゆけるヒトって、きっといない。
絶対とは言えないけど、ほぼいないだろう。
だってそれが『自然法則』だから。
ひとつって、ひとりって、不安定。
でも元はみんなひとりで、ひとつなんだけれど。
だから、時にひとりに戻る、時にひとつに戻してみるのも、とても大切だと思うんです。
これもまた、陰と陽。
ひとりとみんな。
それもまた、バランス。
ありがとうございます。
コメントを残す