日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(^^)
今日は久々に、難解でとても厄介。私の人生の中で大きな課題でもある『アトピー性皮膚炎』について書きます。
最近の私のアトピーはというと、ぼちぼちです。ぼちぼちって~(笑)
スッキリさっぱり!とは行かずとも、日常生活には問題のない程度。10がマックスなら、1か2、くらいでしょうか。
今炎症が出やすいのは、これはいつものコトなのですが『頬』。子どもの頃からずっとそうです。手強い。
そして、ここ数か月くらいになるかな、左の胸と右の首筋に軽く出てます。フッと良くなってみたり、またフワッと出てきたり。繰り返している状態です。
しかし、痒くて寝れないコトもなければジュクジュクでもないので、放置している程度。
いろんな意味で慣れてしまってます(笑)長く向き合っていたら強くもなるし、まあこれくらい、とも思って。
と言うのも、『何とかゼロにしよう!』と励むのは素晴らしいけれど、それって『力み』でもあるなあと思っていて。
私の中では、必要があれば出てくるし、いろんな意味で心身のバランス取れたなら自然と収まってくるし。その変化する状況に一喜一憂したりはしないし、どっしりかまえている。でもそれは、『生活に支障がない程度だから』というのが大前提です。
一瞬で消えるコトもあるのです。
巷でよく出てくる、『アトピーが一瞬で消えた~』とか『すぐに治る~』とか。そんな本とかタイトルをつけた雑誌記事とか。すごーく!違和感がある私。
でもやっぱり、それはあるんですよね、実際に。
つい先日も、あったんです。
私は日本伝統の沖ヨガを長く学んでいますが、師は東京で『ファミリーヨガ』というヨガスタジオを営んでいます。設立してもう40年にもなる老舗ヨガスタジオ。その指導実績と比例して、底力がある学びの場だと思っています。
◎東京神田ファミリーヨガ→★★★
師である石井久恵先生を京都にお呼びして、イベントクラスが開催されました。私はピューンと北海道から向かって、1日、そのクラスを受けさえていただいたんです。
するとどうでしょう~
右首筋に出ていた、しつこい痒みを伴うアトピー症状が、京都から帰る夕方頃にはほぼ痒みがなくなり、夜眠って次の朝起きてみると、ツルツル肌に。クラス中は痒くて何度も掻いていた。その記憶はあるのです。むしろ傷になっているくらいだと思うのだけれど、あれ?と言うほどに症状がおさまってました。
不思議だなと思いきや、こんなコトが今までに何度も何度も、何度もあります。
でもそれは、重症期には一度もなかったコトです。
ある程度は治まっていて、生活の仕方や状況によっての振れ幅で出てきている状態が、今の私のアトピーだと思うのですが、そうなってからは、何度もこんなコトがありました。
そんな経験を通して見えてきたコト。
まずは『適度な運動』のチカラ!
とくに私は、『食べ物がよく障る』アトピーです。
ストレスや花粉や、いろんな要因が複雑に混ざり合って症状化していると思うのですが、私自身、不思議に思うほどメンタルは強い(笑)
がしかし、食べ物はすごく障る。
これも、自分自身で見つけた感覚であり、これが正しいかどうかと確かめる必要など、まったくないのです。私が私自身とじっくり向き合った中で見えてきたものだから。
これ、かなり大事ですよ。
ヒトにいただくアドバイスも大切なのですが、最終的には『自分』ですから。
私は、アトピー性皮膚炎という特性を持ち生まれてきたけれど、それを通して自分自身と深く向き合っている。そのプロセスが私をさらに豊かに育ててくれていて、ライフワークである『ヨガ』にも大変に役立っている。そんな感じです^^
私は、とにかく『食べ過ぎない』コト!そして、よく噛むコト!お腹をよくほぐすコト!
これ、すごく大きい。
そして、適度に動いていろんな意味で『溜め込まない』コトも。
心身共に上手く循環していると感じる時は、かなり調子が良いのです。でもたまに、アトピーはまあまあ出ていても、カラダ的にはOK,と言う時もある。そんな時にいつも感じるのが、『命には命の都合があるのだろう』というコト。
それを思考で『なぜだなぜだ?』と考えあぐねたトコロで、命が持つ偉大な働きなんてそう簡単に分かりゃしない。そんなコトで頭をグルグルとまわすより、ココロ静かに落ち着けて、腹を決めて『待つ』と言うコトも時には大切。
あまりに辛過ぎる身体症状なら別ですが、生きていればそりゃあいろいろありますよね。『常に白く、シワひとつなく美しく』なんてしていたら、かえって辛い~。と、私は思う訳です。
ぼんやりと。なんとなくも大アリで^^
だって人生は、長期戦ですからね~
命は常に、『快適』『気持ち良い』という状態を目指して働いている。
そこには『損得感情』や『駆け引き』とかがないんです。そんなのは『思考』や『感情』という領域にあるモノであって、命の本質って、もっともっと奥深い。
『なんで良くならないの?』といくら思考で考えても、命の仕組みはそう簡単に分からない。それなら矛先を変えて『少しでも快適な状態を作ってみる』ほうが、よっぽど上手くいくように思います。
『気持ちがいい』って、めちゃめちゃ大切な心身の状態です。
命の本質の部分、それをヨガでは『真我』と呼んだりもするけれど、これは、『自我』と対極するモノ。
自我というと『ワガママで良くない』というイメージがついてくるのかもしれないけれど、そうではない。人間として、自我がなければ欲もなく、意欲も湧かない。それでは人間らしさがまるでなくなってしまうし、そんな人生って、面白くもないしー
ただ、自我ばかりでは辛くなるよ、と言うコト。
そして、命は真我に触れるコトを求めているから。それは『なぜ?』と聴かれても『そうだから』としか答えられない。その自然法則、自然の摂理を分かりやすく伝えているのが、ヨガ哲学でもあります。
ヒトは真我と自我のバランスが崩れると、病気になったり不安定になったりしやすいんじゃないか、というコトです。
『真我』のみで生きるコトではなくて、自我がある人間として生きている中で『真我』という本質を自分は常に持ち合わせており、そこが教えてくるコトにたまには耳を傾けてみようよ。そんな意識を持ち暮らしてみると良いんじゃないかな、という。
それを沖ヨガでは、『命の教えに耳を傾けよ』と言います。
『生命即神』という、沖ヨガで一番代表的な教えとつながってゆく訳です。
命は即ち神である。何事も自らの命に聴き従ってゆきなさい、と。
その結果、難解なアトピー性皮膚炎という症状もある程度おさまってくるのだろうし、上手くいけば、スッキリ緩解するかも知れない。
そう思うと、私は『慢性疾患の改善』にはヨガってすごく役立つと思っていて、だから自分も実践しているし、ヒトにもお伝えしてゆきたい!と思うのです。
急病や大けがは、ぜひ病院へ^ ^
頑なに西洋医療を不自然として避けるのも、そのヒトそれぞれの生き方だけれど。それもまた、そのヒトが望むならそれで良しだと思う。
私自身は、便利なモノはどんどん使えば良いと思ってます。ただし、『依存しないコト』が大切だと。
『刺激』『加減』が大事です。
先日、京都で起きた出来事のように、ここ数ヶ月なかなか回復しなかった右の首筋に出ていたアトピー性皮膚炎の症状が、しっかり動いて心身を調整したら『あれ?』と思うほどに回復していた。
あれから1週間ほど経ちますが、今もたまに痒みがあるけれど、やっぱり、前のようなしつこいガサガサ感はおさまっています。
不思議と言えば不思議だけれど、こういうコトだなあと改めて思うのです。
師のチカラは大きい!と改めて思ったし、ヒトのガイドの中でヨガをするのが、これまた大きな『刺激』となる。自分では生み出せない動きがたくさんあり、すごい刺激に。そしてまた私には、沖ヨガの行法がピカイチに合うのだと思うんです。
沖ヨガのほぐし動作や修正法は、私の命の本質に相当触れるようで、『整う・調う』という、まさに至福の時をもたらしてくれるのです。
そして肉体としても、慢性的な首の凝りともっと向き合ってゆく可能性を再認識!
スマホパソコンが多過ぎる(^_^;)
それはよくよく分かっているのですが(´;ω;`)ウゥゥ
今もまた、こうしてツラツラと書いているのだけれど、、、
これをやめるとなれば、感情的に上手くいかないのですね、私。。。
私は、『言語』が持つチカラを信じていて、その『言霊』というチカラを使ってどんどんインプット・アウトプットしてゆきたいのです~
これもまた、私にとっては必要な栄養源となっている。
それなら、策は二つ考えます。
①より効率の良い整え方・調え方を再認識して、アトピー性皮膚炎という症状が出るほどに溜め込んだりアンバランスを起こさないようにするコト。
②好きだから・望むからと言って、果てしなく書いたり読んだりせず、『加減する』というコト。
手加減、匙加減、いい加減。
『加減』って、めちゃめちゃ大切です。これこそが、命の快適さを生み出す大きな要素となり、命は快適であれば、どんどん良い方向へと動いてゆくだろう、と。
様々な刺激をほどほどに受けながら、上手く加減するコトを学びとしてゆきたいです、改めて。
結局、結局は調和とバランスだよってコトでした~
まとめでございます。
たとえ『末期癌で余命幾ばくもない状態』だとしても、命は常に『快』を目指して働いてくれている。
命は、絶対間違ったコトをしない。
なぜなら、命は命を生かすために働いていて、そうしか働かないから。
じゃあなぜ病気になるのか?
快を目指して起こるプロセスであり、それを『状態』と呼ぶんだろう。
心身の違和感を調整するために、それを表面化させるチカラを命は持っている。それがグッと動くと、表面的にはアンバランスが出て、時に日常生活が困難になったりもする。
でもそれも、命からしたら『不自然を自然に修正してゆくためのプロセス』なんだろう、と思うのです。
だから、それを分かったら上で時に『西洋医療のチカラ』を借りてもよいのだし、その他何でも、良さそうだと感じるものはいろいろ試してみたら良いのだし。
死んでしまっては何もならない!
いくら命の修正だとしても、生活に支障が出ている状態からは、なるべく早く抜け出せたらいいに決まっているし。
命が求める『快』と、思考や感情で考える・願う『快』は、同じではないコトを知っているだけでも、楽に暮らせる元となるのかな、と思うんです。
抗う(あらがう)のではなく、調和してゆけるように。
良い悪いではなく、すべては『バランス』の上に成り立つというコトを知りながら。
これが、私自身沖ヨガを通して学んだ叡智であり、長く翻弄されてきたアトピー性皮膚炎と向き合った中で学び得た『調和とバランス』の今であります。
まだまだこれからもいろいろあるだろうけれど。
だから人生は面白い\(^o^)/
グラスが創り出すヒカリと、影が織り成す美しさ。
ふとした場面に、ステキなコトっていっぱいありますね。視野は広く、選択肢は多いほど良い。
それに気付けるかどうかはいつの時も、自分次第です^^
ありがとうございます。
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