日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(^^)
人生は常に一択。
だから、常にその一択を決断しては道を切り開いてゆくのだけれども、そもそも、
この苦しみさえなければという選択肢はない!というコト。
言われてみたらそんなの当たり前なんだけども、ついつい考えがち、そして陥る部分。
だって、ひとまず逃げ場を探してみたいし、なかったコトに出来ないかなって思ったりもするし。
例えば、ものすごく恐怖感が残り、いわゆる『トラウマ』になってしまったような出来事だって、それをホントに解消してゆくには、味わい尽くすしかない。それを思い出せなんて、なんて酷なコトかと思うけれど、それをなかったコトにして蓋をしているうちは、解決しないから。
味わい尽くすって、ハッピーな味わいもあるけれど、地を這うような苦しみだってある。それも含めてやっぱり、起こった出来事はまず、受け止めて受け入れて行くしかない。そうしないと、次に行けないんだってコト。
生まれた感情は、味わい尽くして消化してゆくしか、ない。
だから。
今ここにあるモノ、あるがまんまの自分をいかに見据えて、それを踏まえてどうするかを考える。
これさえなければという選択肢を探しているうちは、ずっと迷子のまんまだから。
焦るけど。
時にイヤにもなるけれど。
命があれば大丈夫。
しかも健康であるなら、言うコトなし!
いくら想いが溢れていても、健康を害した時点で出来なくなるコトって、山ほどある。そう思うと、病は気からとは言え、カラダの健康ってとても大切。
思い返すと、『絶対にこの道!』と思って選び抜いたのに、まあまあ悔いが残ったコトって何度もある。しかしそれは、それを選んだからこそ分かったコトだし、やっぱり結局、そう決断したコトを含めての今なのだから、もう一方の道へ進んでいては分からなかったコトがすでにそこにはある訳で。
だから、『経験値』なのだろうと思うんです。
悔いの残ったコトを刻みながら、それでも歩き続けてゆく。
また決断の時がくるから、その時選択するにあたって考える中で、いかに過去の経験を生かせるように、と。
20代の頃など、守りに入らなくても良いと思う。
30代も、まあまあ登ってゆけると思うし、駆け上がりもできる。
40代の今。言うほど駆け上がれないなあと思うし、その必要がないと言うか、そんな状況にあまり突き当らなくなってきた。
50代。まだ未知だなあと思う。どうなっているんだろう?と、ワクワク。
どの世代においてもそうだと思う。
早いところ現状を受け止めて、受け入れてゆくコト。現状把握できたら、あとは対策。どうするかの決断を。現状把握するにも、自分ひとりの視野って意外なほどに偏っているだろうから、信頼をおけるヒトに聴ける状況があるのなら、聴いてもみたい。
そのヒトの言ったコトを鵜呑みにはしなくとも、参考にして。そのひと言で矛先が変わるって、私はけっこうあります。決断するのは自分なんだけども、相当にまわりに助けられていると、痛いほどに実感していて。
人生は有限。
だから、迷うコトも必要だしそれもまた経験だけれど、なるべく、具体的に動いてみるコト。
私はいつもそうしています。
とにかくやってみると、いろいろ分かるから。
ありがとうございます。
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