日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(╹◡╹)
先日。
長くグループレッスンに通ってくださる女性を、パーソナルでも見せていただくコトになり、その初レッスンでした。
彼女がクラスに通ってくださるようになってから、もう3年以上。日々の運動習慣はついているし、そこへ向ける意識も高い。
そんな中、改めてパーソナル指導の場を求めてくださったコトは、とても嬉しかった(T ^ T)
さらなる進化向上を目指して。
彼女のカラダの感じについて私はおおよそ分かっているし、どのようにメニューを作ってゆくかも、自分の中にはすでにある。
それをお伝えしながら、それに対しての想いをお聴きしながらの時間となりました。
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やっぱり、結局、『信頼関係』だと思うのです。
これ以上に、ヒトとヒトが出会うコトによって生み出せるエネルギーの元はないんじゃないか、と。
これって、ひとりで踏ん張る以上のチカラが湧き上がる。
今回のようなパーソナル指導でもそう。
パーソナル指導ってその名の通り、1対1で行う。
私は、彼女想いを受け取りながら、彼女の良さや魅力を最大限に引き出すコトが役割。彼女もまた、たくさんの中のひとりではなく、私はアナタをじっくり見ている。そうして見られているからこそ、結果を出したいという意識力がグッと高まるし、深まりもする。
そこから生まれてくる『成果』とは、ボディラインの変化だけではきっとないです。
いつの時も、心身共に。
より良好な信頼関係を築いてゆこうとする日々の積み重ねそのものが、お互いに、豊かさを広げてゆける元になるのだろう、と。
それを沖ヨガでは、『自他共に生かし合う』と言います。
アナタも、私も、お互いが伸び合える仕組みを築いてゆけたなら、その取り組みはきっと、末永く続いてゆくものとなるだろう、と。
彼女が望んでくれるのなら、1年ほどかけて、日々の心身のメンテナンス法を深めてゆきつつ、より短時間で的確に動いてゆけるよう学び合ってゆきたいと話しました^ ^
より質の良い暮らしを目指して。
『豊かさって一体なあに?』を探求してゆきたい。
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私は、お客さまのコトを『クライアント』と呼ぶのがとてもしっくりこない。
それは、聴き慣れないコトバでないし、とくに不自然でもないけれど、私にとってしっくりくるのは『共に学び合う』という感覚。
だから、いつも基本はお名前で呼ぶし、今日のように、彼が・彼女が、と話したりもする。
命って、カラダって、いくら学べども学べども、一筋縄ではいかないんです。
骨や筋肉の仕組みを覚えてゆくと、ある程度カラダを観る・使うにあたっての『取り扱い説明書』みたいなモノが出来てくる。
そして、東洋医学のような学びを得てゆくと、1+1=2とは限らないとも分かり、『調和とバランスが大切』なのだとも分かってもくる。
そんな全体的な学びとして、『ヨガ』はとても便利であると思ってます。
日々のクラスでは、『先生と生徒』という関係があるけれど、そこは結局、ヨガを共に学び深める仲間。
それはいつもお互いさまで、生徒だけが学びを得てゆくのではなく、先生も、共に育ち学び得る場であるという意識を持ちながら。
私だけが先生として一方的に提供し続けてゆくのなら、私はいつか枯れてしまう。私もその場から吸収し、気付き、学び得てゆきながら、その状態が環してゆく仕組みで在れるように。
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学び得たコトをベースに日々実践してゆくのだけれど、『プラスα』という部分は未知数だと、常々思うのです。
そのプラスαという部分こそが『命の真髄に触れる』のであり、それが信頼関係であったり、意欲であったり。
そんなプラスαを引き出してゆきたい中で、パーソナル指導というのは、とても適した場。伸び代がとても大きいなあと感じている最近です。
私は、私がワクワクするコトに心底こだわり、突き詰めてゆきたい。
グッと深まる集中力は、果てしなく広々とした『瞑想』という領域へと導いてくれる。
沖ヨガのベースである、『生活冥想』。
日々の何気ない暮らしこそ学びの場である、と。
そして、未知数であるヒトが持つ底知れぬチカラを、じっくり眺め見てゆけたらと思うのです。

ありがとうございます。
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