日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(*^^*)
ステキなお盆の過ごし方。
お盆休みには、毎年恒例で『夏季ヨガ集中講座』を豊富温泉にて開催させていただいております。
この企画が始まったのは、『豊富町商工会』に雇用していただき、豊富温泉にて勤務させていただいていた頃。
2年半前には雇用から外れて、フリーランスとして活動するようになりましたが、それからも、ゴールデンウイークとお盆休みの集中講座を、細々とですが続けています。
豊富温泉もりあげ隊の主催。
今年は、4日間。
一般の方のご参加は少なかったモノの、豊富温泉にて湯治療養中の方が多数ご参加くださり、豊かな出会い広がる場に。
◎講座の様子はこちらの記事を→★★★
豊かな出会い。
つながる広がり。
ありがごうございました!
豊富町の観光スポット『サロベツ湿原』へ。
長期休暇になると、その時を狙って豊富温泉へ湯治療養にいらっしゃる方が多数。
『わお、久しぶりーーーー、ゲンキ?』と、何度言うコトか〜(笑)
豊富温泉には、たくさんの豊かな出会いが溢れています。
もちろん、それだけ別れがある訳ですが、湯治療養にいらっしゃらないのなら、きっと調子よく過ごしているんだろうなあと、再会しない喜びがあったりもする。
ここは、ホントに面白い場所なんです。
そんな中。
まだここへ移住する前から仲良しの、湯治仲間、カメラ仲間の男性とぶらり旅へ。
旅と言っても、豊富温泉からなら車で20分ほどの『サロベツ湿原』へ。
ここは、『利尻礼文サロベツ国立公園』として、保全されている場所。
植物を取ったりすると、罰金だそうですよ(;^_^A
ですので、取りはしませんが、撮ってはきました(笑)
何よりTシャツのLINE熊が目立ちますが~(笑)
彼はSonyのミラーレス機を使っていて、私は根っからのcannon、EOSユーザー。
カメラと言うのは『道楽な趣味』だと昔から言われる通り、キリがないほどにお金の使いどころがあるし、『ここまでよ!』と決めないと、あっけなく『カメラ沼』にハマります。
その代表が、私~(;^_^A
昔は、アナログ機で撮ってました。フィルムカメラ。
娘が生まれて、デジタルの一眼レフに買い替えたけれど、せっかくこの素晴らしい大自然広がる北海道へ移住しても、それほどカメラを持ち歩いて撮るコトはなくなっていた。
けれど、愛してやまないエゾニュウさまを撮りたくて撮りたくて仕方がなくなり、エントリー機という初心者向けの軽めなカメラを購入したのです。
◎エゾニュウさまって?→★★★
それが、去年の夏のコト。
クオリティーを求めるのではなく、楽しく撮ればいいノダ〜
あれだけそう思って、そう決めていたのだけれど、やっぱり、ねえ。
それなりのクオリティーを求めたくなるモノですよねえ(笑)
まあまあ高めのレンズを、衝動買いしてしまいまして。しかも2本も!
せっかく買ったのだからと、そのレンズを持って出かけたのが、この日でした。
写真を撮るって、瞑想と同じ。
被写体をジッと見つめて、『どんな風に撮って欲しいだろう』と、じっくり観察して。
スゴイ集中します。
なので、めちゃめちゃ疲れる!(笑)
果てしなく広がるだだっ広い湿原の中でも、被写体と『目が合う』感覚があるのです。
見上げてみるって、いいよね。
この日は、曇り空。
それでも。
その時の雲があって、流れがあって。ふたりでそれぞれ寝転がり、その様子を眺めて、シャッターを切ってみる。
湿原には、小さな花たちがたくさん。
ゆっくり見渡さないと、見落とすほどの小ささであり。
でも、しゃがんで目を合わせ、じっくり見つめてみると。
とってもキュートなフォルムだったりして(o^―^o)
『わーお、アナタかわいいね!』とか言ったりして(笑)
1時間くらいかな。
とてもとても、贅沢な旅でありました◎
最近よく思うし、話すコトがある。
『万人に好かれる必要はないよね』、と。
わざわざ嫌われる必要はないけれど、そんなにがんばって好かれようとする必要もないよね、という。
私が好きなヒトに好かれているのなら、そんな幸せなコトはない。
私が私らしく在るコトを受け入れてくださり、その上で、好きでいてくださる方を大切にしたらいいのだよ、と。
私の本業は、ヨガインストラクターです。
ヨガインストラクターは、ある意味『人気商売』なんだろうけれど、私は私らしく、身丈にあった学びを重ねながら、日々のその時々の出会いを大切にしながら、背伸びするでなく、カッコつけもせず、出来るコトを精一杯、最善を尽くしてゆけばそれで良しなのだ〜、と。
万能なモノなどないし、完璧なヒトなどいない。
そう分かっていても、様々なエネルギーが入り混じっていると、時にもつれたり、こじれたり。そのもつれやこじれが大きければ大きいほど、受け取る負担も大きくなる訳で。
多分、何より難しいのは『人間関係』だと思うし。
そう思えば、日々そりゃあいろいろありますわさ。
何でこんな結果になったんかしら?と、思わず考え込んでしまう事態も、時には起こる。
それでも。
『何をそんなにもがいて空回りしてるのさ〜』と。 なかなかに上手く循環がいかなくなった時にここを歩くと、広い広い湿原が、私にふと教えてくれるのです。
そうだそうだ。
もともと私ってば、ちっぽけな存在だった。
カラダを大きく使い、想いを無限に広く持ってゆきたいけれど。
それでも。
偉大なる大自然の一部なのであり、常にそこに抱かれているのであり、大きな大きな循環の一部なのだと、見返るコトが出来る。
ひとつひとつは小さい。それでも、そのひとつひとつが貴重であり、偉大で在り。
どれが抜けてもバランスが崩れる訳で、その全部全部が、必要とされているから、そこに存在している。
そもそも、大きいも小さいもないじゃん。
あるとしたら、視点を変えてみるとか、視野を広げるように意識を向けてみる、とか。
自分次第で、大きくもなるし、小さくもなるのだ、というコト。
うん。
『これでいいのだ~!』
そうだ、バカボンのパパの言う通りだね^^
ありがとうございます。
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