今日、ふらっと読んだブログ記事に書いてあったコトバが、とてもココロに残った。
それは、↓
『悩んでいる間は下向きに成長し、根を張っている時期なんです』
うん、そうやなあ。
ホントにそう。
確かにその通りや。
ヒトは、傷ついた分だけ強くなれる。
傷を負って、その傷が癒えぬうちにまた次の傷を負ったりして、それはもう、泣きそうで。
そしてそのうちに、泣く気力もなくなる。
気力を振り絞って立ち上がるたびに、腰を砕かれ、倒れ込む。
これを何度も繰り返すと、もう、立ち上がるゲンキがなくなるのだ。
強制終了。
電池切れ。
よく乗り越えて来たなと、後から考えると改めて思ったりする。
それって、下向きに成長していたんやなあ、と。
そして根を張っていたから、今こんなに安定感を感じるんやなあ、と。
深い深いコトバやと思った。
苦しんだ分だけ、一筋のヒカリが射した時の喜びや感謝、その感動がよく分かるから。
ヒトの辛さに寄り添うにしても、身を削られるように苦しんだ経験があるコトで、どんと受け止められたりするから。
ブログを書いたヒトは、アトピー改善アドバイザー『くわっち』コト、桑野やすしくん。
私は、彼が苦しみをひと山もふた山も超えて、アトピーも寛解してから出会った。
くわっちは、さっぱりとしたヒト。あれこれは言わないが、的確なヒトだ。最近お父さんになり、『かわいいわ〜』と親バカさを発揮していたり(笑)
だから、彼の過去話、下り坂を転げ落ちるだけ落ちて『底を観た』という経験を綴ったブログを読んで、アトピーってホントに壮絶やと、つくづく思った。
今の彼からは想像出来ないけれど、相当にもがき苦しんだんやろうなあ、と。
『アトピーは人生ごと持っていかれるから』と、前にくわっちが言っていた。
ホントに持っていかれたから、そう言ってたんやと、改めて。
◎くわっちのブログ→★★★
くわっちとは去年、私の故郷である愛知にてコラボワークショップをさせていただいたりもした。
愛知県長久手市にあるヨガスタジオ『フィレックス』にて。
◎その様子はこちら→★★★
愛知にいる私の娘は、くわっちにすっかりなついて、遊び相手になってもらったりもした。
私のどん底は、17歳〜20歳頃やったなあと思う。
高校2年生の頃、アトピーが辛過ぎて、学校へ通えなくなった。
それはもう、右も左も分からない状態。
親の言うなり、言われるがまんまにあちこちへ連れて行かれ、何かを言われるたびに、振り回される。
もう、何が良いんだか何が良くないんだか、それを冷静に考えるゆとりもない。
路頭に迷っていた。
ホントに、訳が分からなかった。
そんな中、20歳の頃にヨガに出会った。
そこで、『答えは自分の内側にしかない、だから自分で確かめろ』と言われた。
その衝撃ったら、なかった!!
『自分で確かめるってなんですか???』
『自分の人生って、自分で探していんですか??』
『ホントに探せるんですか??』
それはもう、衝撃的で。
散々に、『治らないですから』と言われ続けてきたのだ。
その反面、『必ず治るから通い続けるように』ともたくさん言われたのだ。
いろんな民間治療法を試した。
言われるがままに鵜呑みにして通い続けたが、金銭的に限界が来ると、母から『もう通わなくてもいい』と言われた。
私に与えられた選択肢は、なかったように思う。
それが、自分で選んだり探したり出来るのか!?と。
両親を散々恨んだりもした。
『なんで私を産んだのか』
『なんで勝手に決めたのか』
『なんで私は生きていかなきゃいけないのか』
こんなに辛いのに、『幸せになって欲しい』とか言って来る。
何言ってんだ!!
なれるものならなりたい。
これだけ辛いのに、幸せになどなれないのに、観てりゃ分かるやろうに、一体なんなんだ!
それはもう、ドロ沼状態。
今でこそ、両親だってやり場がなかったのだと分かった。
未だ変わらず、両親の理解はあまりない(笑)
自分たちの価値観を押し付けられるばかりやけど、『まあ、このふたりはこんなヒトなんやわ』と、ぼんやり受け止めつつ、イヤなコトは『イヤ』と言い、無理なコトは『無理』と言っている。
合うか合わないかと言われたら、まるで合わない!が、両親がいてこそ私がいる。
これを飛び越すコトは出来ないし、両親が両親やったからこそ、私が私になったのやし。
その当然なる事実を受け止め、やりくりできるようにもなった。
そんないろいろを振り返ってみると、アトピーに翻弄され、人生は大きく変わったんやろうと思う。
『もしアトピーでなかったら?』
『ごくごく普通に高校に通い、卒業し、就職でもしていたのか?』
『親とは合わないから、早くに家を出ていたかも?』と思ったり。
しかし何より、生涯のライフワークである『ヨガ』とも、出会えてなかったかもしれない。。。。
いや、日本にヨガブームが来た時、その波に何となく乗って、何となく学び始めて、インストラクターになっていたかもしれない。
がしかし、悲しみ苦しみの末、弱さがあるからこそ見つけた強さはなかったやろうし、そもそも、そんなコトも分からなかったかも知れない。。。。
そうすると、今のように腹を決めて生きてはいなかったんじゃないか。。。。
もう、さっぱり分かんない。
今の自分でない自分なんて、想像するの難し過ぎる。
ただ、今、過去を振り返ってみて間違えなく思うのは、やっぱり、『アトピーに育てられたなあ』というコト。
苦しんでいる最中には、そんなコトを思えなかったし、苦しい最中に無理無理感謝を見つけたり作ったりする必要はない。
喜び感謝は、自分の内側から湧き上がって来るモノで、探して見つけるモノじゃないんやろうと思う。
苦しみ抜いた後に見つけた境地は、それはそれは、素晴らしいモノやった。
たくさん背負った傷が、私の強さに、バイタリティに、生きる意欲になっている。
そう確信するのだ。
くわっちのブログのハナシに戻り、どん底に落ち、底を打ったその時に、自分の内に溜めきれなくなった想いが溢れ出し、涙がとまらなくなった、というコト。
それを読み、今でこそワクワクを原動力に、直感とひらめきで楽しく生きているが、私も昔は、『無感情』やったなあと言うコトを思い出した。
味わうゆとりもなかったし、苦しくて抱えきれんのやから、ひた隠しにするか、見て見ぬフリをするしかない。
ココロが頑なやったんやろう、素直に泣くなど、出来なかった。
でもそれって、辛くても苦しくても、痛くても、結局は、味わって消化するしかない。
生まれた感情は、味わって消化するしかないのだ。
食べたモノと同じ。
たくさん食べて、胃にたくさん入っているのに、『食べなかったコトにする』など出来ない。
しかし、味わうなんて出来ないのだ。辛い時って。
とにかく、笑ってごまかす。
『私は幸せなのだぞ!』と、ありもしない呪文をかけて。
今もよく、『人生は笑ってごまかしてなんぼや〜』と言っているけれど、その頃の笑ってごまかすとは、天と地ほど違うのだ。
そもそも、心底笑うコト自体が出来なかったんやから。
今でも、鮮明に覚えている感覚がある。
何事においても、アトピーのせいにしてきた。『アトピーさえなれば、私はなんでも出来るのに』と。いつも言っていたし、そう思っていた。
なのに、アトピーが楽になっても、たいして変わらなかったのだ!!
『アトピーさえよくなれば、寝る時間なんてなくていいから動き回りたい!』とよくよく言っていたけれど、良くなってからもけっこうゴロゴロしていたし、また違う理由をつけて、やらなかったりした!
『肌さえキレイなら、あっち行きたいこっち行きたいのに』と言っていたが、肌がキレイになっても、たいして活動範囲は変わらなかった!
その時に、あきらかに自分で気付いたのだ。
『問題はここだけではなかった・・・』と。
苦手なモノは、アトピーに関係なく苦手なまんまやったし、これさえなければなんでもいい!と思っていたが、なんでもよくはなかった。
もちろん、アトピーであるが故の不具合はあるのだが。
人生持っていかれるほどの苦しみであるコトは間違えないが、それが改善したら全て良くなるか?と言えば、そうでもないんだなあ。と、イヤと言うほど実感した。というコト。。。。
何かにつけて言い訳にしていたコトが、自分自身でよくよく分かったのだ。
アトピー性皮膚炎は、ホントに辛いです。でも、なんでもかんでもが、そこではない。
そこから見つけられる幸せがあるし、人生に起こる全ての問題がアトピーではない。
そして、『乗り越えられん!』と思うほどの苦しみを抜けた末に見えた景色は、それはもう、めちゃめちゃ、語り尽くせぬほど味わい深いモノやったなあ、というコト。
とっておきの何か。というモノではなくて、毎日にある何気ないコトに、いちいち感動したり、胸が踊ったり。
『あー、私ってこんなに素晴らしい景色に囲まれて暮らしていたんやなあ』と、改めて気付いたり。
いっぱいいっぱいで、ゆとりがないもんやから、ほとんどまわりが見えてなかった。
他に意識を向けるゆとりなんて、少しもなかったのだ。バリアをたくさん張って、幸せそうにするだけで精一杯。
自分をたくさん観て、感じて、味わってみたら、少しずつ少しずつ、まわりの景色もよく見えるようにもなった。
そして、今。
私は、日本最北端の温泉郷『豊富温泉』で働かせていただている。
家族と離れてここへ移住して、丸3年。
ここは、『アトピーの聖地』などと言われるくらい、たくさんの方が湯治療養に訪れている。
いらっしゃる皆さんそれぞれ、苦しみの真っ只中やったり、辛さをたくさん抱え込んでいたりする。
その痛みが、よくよく分かる。
ヨガクラスに参加してくださり、涙を流す方もたくさんいらっしゃる。
少しでも、抱える荷物が少なくなったらいいな。
役に立つモノがあれば、なんでも持ってって、活用してほしいな、と思う。
アナタの人生最大の役割は、アナタ自身を心底労わり、幸せにしてあげるコトです。
そのアナタの幸せが、また次の誰かに届いてゆくから。
そんな、循環する仕組み。
真っ暗闇は長くて辛いんやけど、いつヒカリが射すのかは誰にも分からないんやけども、少しでも少しでも、明るい方へ、気持ちの良いほうへと進めますように。
『命の声に耳を傾けるコト』
ヨガを通して、人生最大私に与えていただいた大きな教え、ギフトを、私は日々、次のヒトへとお届けしている。
『信じるな疑うな確かめよ』
何事も、まずは命の声に耳を傾けてみて。
自分自身に教えてもらって。と。
辛い時は、『下に下に伸びている』時期。
深く深く根を張って、安定感が増し、さらに空高く高くと、伸びて行けますように。
『仲間』という存在は貴重だ。
豊富温泉の泉質は素晴らしい。が、この地で出会える『痛みを分かち合える仲間』こそが、頑なにこわばったココロを溶かし、心底の笑顔に出会えるきっかけとなるのかもしれない。
豊富温泉は、皮膚疾患にとって、なくてはならない場所なのではないやろうか。と思う。
根本的な解決にはならないけれど、右にも左にも行けなくなった時、ひとまずその場を乗り切りたい時の、『雨宿り』のような場所なのやと私は思っている。
いつまでも大雨に濡れてずぶ濡れでは、風邪もひくし、気持ちも萎える。
皮膚疾患で苦しむ方々。ぜひ、一歩前に進みたい時、訪れてみて欲しいなと思う。
ありがとうございます。
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