日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(*^-^*)
先日、大変ビックリな出来事がありました!それを書く前に、まず。
私は、ひとり娘と離れて暮らしています。(私→北海道、娘→愛知県)
彼女は11歳、小学5年生。
おぼこくてかわいい女の子だったけれど、最近はすっかり、女子にっ!(笑)
それはもう、一筋縄ではいかないですわ~。
まあ私もそうだったんだろうと、お互いさまだといろいろを楽しんでます。
がしかし、それにしても常に機嫌が悪い。
ここ数か月のコトです。
電話をしても、ちょっと気に入らないコトがあれば一方的に切ってしまう。電話を切った後も気が済まないようで、あーだこーだと、山のようなLINEがくる。
『もうママなんて帰ってこなくてもいい』
『もしママが帰ってくるなら私は友達の家に泊まるから』
と、これいつまでくるんだ~という感じに(;^_^A
青春ですよね☀
そう言ってしまえばそこまでのコトなんだけれど、あまりに『感情の波』が激しい。
私は良いんですよ。親って切ないもんで、子どもに何を言われても大丈夫。ああそうかって、結局は受容する。
あ、そうじゃないヒトもいるかも、そうじゃない出来事もあるかもしれないけれども、私は、こんな不機嫌な八つ当たりくらいは、全然OKで。
ただ、本人も辛いんじゃないかと思ったんですね。
そこで、機嫌のよい時を見計らって、彼女に聴いてみるコトに。
『ねえ、最近しんどくない?訳もなく腹が立ったり、不安定だったりするように見えるけども』
『そうだよ、だからなるべくひとりで居る。今はそのほうがいいから』
そうか、だからさみしいさみしいと言いながらも、急にひとりで寝るようになったんだなあとは,、この時に分かったコト。
んでもやっぱり、さみしいものはさみしいようで。
だから、私に電話をかけてくる。
けれど、あれこれ話すとやっぱりイライラする。だから結局、私に当たってくる。
いや。
学校ではそれなりに上手くやっているのだろうし、当たって良いヒトとそうでないヒトの区別が、彼女の中ではちゃんとあるんだろうと思う。
そんな中で、私は『当たっても許されるヒト』であるならば、ありがたい訳で。
あれこれ娘から聴いた中で、とても印象に残ったひと言がありました。
それは、
『こうしたいと思ってやってみても、出来たらちっとも嬉しくない。なんか自分がバラバラな感じ』
それこそ成長だよね!!と、思わず私は思ったんです。
本人は大変だろうけども、幾重にも『ココロのヒダ』が増えてゆくだろう、それはそれは、素晴らしい時期であって。
『とにかく困ったコトがあれば、怒られるとか何言われるとか考えなくてもいいんだから、ひとまずママに話してみてよ』
離れて暮らしている分、そばで彼女の雰囲気を観ていてあげられない分、彼女にとってはうるさいのかも知れないけれど、私はいつもそう伝えています。
そして、
『アナタがダイスキよ』と。
それに対して、
『もう分かったわ、はいはい好きなんでしょ』
と返されるコトもあれば、
『うんありがとう』と素直に受け取るコトもあって。
移り気な女子ですねーーーーーーーっと(笑)
そんな中ですね。
ここ数週間くらいでしょうか。
急に、彼女の雰囲気が変わってきた。
あきらかに、落ち着いている!!
なして!?(どうして、という意味です)
私は、仕事柄もあるのかもしれないけれど、ヒトの『雰囲気』を良く感じ取る。
ヒトって、雰囲気がすごく大切で、それを『バイブレーション』と私は受け取るのですが、様々なバイオリズムの中、ヒトは様々な『波』を発している。
『波長が合う』とはまさにそういうコトで。
波のリズムが合うヒトとは、一緒にいるだけで心地が良い。何を話そうとか、どうしたら良いかとか、良い意味でそんなコトはどうでもよくて、考えなくても良くなる訳です。(そんな中でも『気遣い』は大事ですよ)
そんな中。
娘には娘の波があり、ここ数か月それが乱れまくっている。やっぱりヒトの波が荒いと、それが私にも『当たる』訳ですよ。
多分私は、それほど感情の波が激しくないので、いや、ワクワク感情スイッチとか入りやすくて、すぐワイワイ騒ぐんだけれど(;^_^A、結局はすぐ静かになるのです。
高波って、それがたとえハッピーの波であっても、いつまでも続かない方が良い。
だってそれは、『不安定』だから。
ハッピーの波って、『浮足立っている』訳だから。
いつまでもそうだと、あっけなく『足元すくわれる』訳です。
いとも簡単に転ぶだろう。
やっぱり大事なのは、楽チンなのは、『平常心』であるコト。
ヒトそれぞれのバイブレーションでありながら、そのヒトそれぞれの心地よいだろう『波』があると思うのです。
そして。
娘のようなイライラ感情の波や怒りの感情の波って、まるでそこに『棘(トゲ)』が生えているようで。
刺さるのですよ、ヒトに。もちろん私にも。
そしてそれはもちろん、痛い訳ですよ。
だから、ヒトを傷つけやすく、それをきっかけに関係が分断もしやすい。
だけれども、怒ってはいけないとは言っていないのです。
時には腹が立つもので、八つ当たりもしてしまう。ただそれを、『いつまでも引きずらないほうがいいよ』と言うコト。
自分の中に貯め込むクセのヒトは、これまた大変!
自分の中だけで強い波が起こっていて、それを外に出さないようにとブロックすると、さらに『ワヤ』であります。
それは多分、大なり小なりですが、結局は『まわりのヒトも大変になる事態が訪れるだろう』と思われる(・・;)
それか、身でもらうか、です。
疾患を含めた急性・慢性症状となり出てくる可能性が高い。筋肉もカチカチになるだろうなあ。
だって、溜め込むと命は苦しいから。
生まれた感情は、どうしたって味わい尽くさないと解消してゆかない。
ようするに、食べたものと同じなんですね。消化して吸収して、不必要なモノは体外へ出てくる仕組みです。
じゃあどうすれば良いのさ?というハナシです。
ぜひ『ヨガ』を学んでみてください♡(笑)
って。
まあホントに、私にとっての救いはヨガだった訳で、それもひとつの大きなアイディアではありますよ。
私は、『怒り』と言うコミュニケーションが相当に苦手(;^_^A
まあまあ刺さるんです。痛いんですよ。上手く、やんわりと受け止められない。。。
ケンカするほど仲が良いと言うのは、確かにそう。
自分の想いをドンと出せるような存在が居るって、ホントに素晴らしいコトですよね。
自分らしく居られる。自分を出しても良い。
『このヒトは受け止めてくれる』っていう信頼感って、相当にヒトを強くし、安定させると思うんです。
と、ここでハナシが戻るのですが、娘にとって私がそんな存在なのだとしたら、それはそれは良かったな!というコトです(⌒∇⌒)
はい、ここから本題です。
あれこれ脱線しましたが、娘が落ち着いた理由ですが
それはですねえ、
瞑想を始めたから!!!!!!
えーーーーーーーーっつ!?となりませんか?
いやいや、私がしなさいと言った訳じゃないんですよ。
何がきっかけだったんだろうか?
あ、思い出した!
YouTubeで『瞑想に良い音楽』というのを見つけて、試しにやってみたそうなのですよ。
そうすると、
『何この静かな感じ、すごく良いじゃん』となったそうで。
それから、毎日気に入った音楽をかけては、瞑想するようになったのだそうです。
いわゆる『音瞑想』というやつですね。
呼吸に意識を向けても良し、鼻先を観ていてもよし、瞑想にも、いろんな手法があります。
私が学ぶ沖ヨガでは、『瞑想』ではなく『冥想』と書き、生活の中での意識集中や解放や、『生活冥想』としての行法を重視しています。
それを聴いた私、
とにかくビックリした!!!!
訳です。
ビックリしませんか?
11歳娘が瞑想によって自己を安定させ、心地よく過ごす術を見つけた、という。
さすが私の娘だわ~(笑)
瞑想が持つチカラ。
それはまさに、娘に起こっている状態そのものです。
感情に振り回されにくくなる。
例えば一昨日のコト。
夜電話していて急に娘が怒り、またもや、あれこれ突っかかってきたんです。
まあいいやと、私はやんわり受け止め、そのまま放置。
電話が、電波が悪くて切れたのに腹を立て、『なぜ切ったんだ!?』と。
『いやいや、切ったんじゃなくて切れたのよ』と、私がいくら言っても聴かない。
『私がどれだけ傷ついたか分かるか?』と、『もう知らない!』と。
それはそれは、30分近くそんなLINEが続き。
そして、翌日の夜。
昨晩のコトですね。
電話がかかってきて、何事もなかったように、あれこれハナシを始める娘。
なので、『何かママに言っといたほうが良いコトがあるんじゃないの?』と聴いてみると、
『別にないもん。昨日は瞑想してなかったからね、今日は2時間半したから大丈夫だよ』と。
2時間半!!!!
それはちょっと長過ぎやしませんか(;^_^A
そう私が言うと、娘は、
『今の私には必要なの、そうしたくてしているからいいの』
と。
しっかりとした意思を持ち、彼女なりに考えているのだから、これはントに素晴らしい!
私は。
一応ヨガインストラクターですから(一応って何だ笑)、アドバイスとしては伝えておきました。
『瞑想は時間の長さではないし、むしろ、そこまで時間をかけずに深められる、整えられるようになってゆくとさらに良いんじゃないかな』
と。
昔々、こんなコトがありました。
もう10年以上前のコト。
まだ娘が生まれる前かな。
私もそれこそ、今の娘と同じように、瞑想ばかりしている時期がありました。
やっぱり、自分の中が落ち着いているって楽だし、内側の仕組みというか、流れが見えてくるのも面白くて!
何て言うのかな、変な言い方かもしれないけれど、『自分にハマっちゃっていた』訳です(笑)
そんな時。
身体心理学(ボディサイコセラピー)を学んでいたのですが、その先生から言われたんです。
『ヨガの先生とかにホントによくあるコトだよね。自分の内側を快適に調えるのはホントに大切。でもね、本当のチカラは他と混ざり合う時にこそ出るもので、そこにこそ、人間として生きる醍醐味があるんだよね。』
と。
その時の私は、多分、相当他者に興味がないというか、自分の内側でバランスをとってゆくコトで生まれる波に酔っていたというか。
他と言う存在を受け入れたり、向き合ったりする中で生まれる『軋轢』や『ジレンマ』のような難しい感情や状態が、ものすごく自己を育ててくれるというコトが、大きく抜け落ちていたんですね。
もちろん。
どれだけ他の存在と交わるか、絡み合うかを決めるのも自分自身で、それもまたヒトそれぞれで良いのだけれど、『自他共に生かし合う喜び』というのは、他と言う存在があってこそ分かる境地なのであって。
その時先生は、『結局バランスだよ』というコトを私に教えてくださったのだろうと思うのだけれど、その時の私は、それを受け取り切れなかった。
ヒトと絡む面倒さより、自分の内側を探求するコトに夢中だった。
これって、どっちもあったらいいんですよね。
どっちか、ではなくて、どっちも。
自分を楽しみ、他を楽しみ。そんないろいろを楽しめるコト。
それがヒトであれ、物事であれ、場所であれ。
結局私たちは、他という大きな存在のサポートによって生かされているのだろうと思うんです。そしてそこを通して自己を知る、という場所へ辿り着く。
まあとにかく、ヨガを学ぶ中でもいろんなコトがありました〜
そんな中で、何より良かったのは、自ら体験し、味わい、だからこそ『身を持って学べた』コト。
ヨガではそれを『体得』と言います。
せっかくカタチある人間として生かされているのだから、良い意味で生々しく、失敗しても間違ってもいいのだから、とにかくトライしてみようよじゃん!と。
『経験値』と言うチカラは、大きいですね。
時に『恐怖心』となったりして残ったとしても、やっぱり。それもひとつの経験値。きっと大きな『受容するチカラ』となったりもするハズです。
娘の今後が楽しみです(^_-)-☆
たくさん考え、感じ、味わって、経験を積みながら自分らしさを見つけて欲しいなあ。
全力で応援しているからね!!!
『大丈夫、アナタはどっちにしても幸せになるからね(*^^)v』
コトバにはチカラがあるから。
彼女にいつも、私はそう伝えている。
それは、私の『祈り』です。
私たち人間は、祈るコトが出来るから。
私たちは、『愛と祈り』を忘れてはいけない。
そんな、とてつもないチカラが、すでにここに在るコトを。
忘れないで。
今、ここ、自分を精一杯に生きよう。
私の魂は今、中島まなみという今生を生きている。

生きとし生けるものすべての存在が幸せでありますように。
幸せってなんだろう?
そこを探求し続けてゆきたい。
ありがとうございます。
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