日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(╹◡╹)
月に一度、中川町へ行かせていただいてます。

ここはホントに心地よく、巡りの良い空間が広がるお寺さんなのです。

お寺ではなく一般の家やお店などもそうだけれど、そこに住まうヒト、その場で多くを過ごすヒトの心持ち次第で、空間は大きく変化すると思う。良くも悪くも、です。
目立つモノは大切にしやすい。なぜなら目立つから。そのままだけれど笑
しかし、目に見えないほんの少しの空間をも労わりココロを配ってゆくと、やはり『巡り』が良くなると思うのです。
このお寺さんの住職さん、奥さまが、とてもステキで。私はダイスキです^ ^
こんな、私のダイスキな気持ちも含めて、このような心地の良い場が成り立つのだろうと思います。
日々、いろんな場に声をかけていただいて行かせていただきますが、やはり、主催者の思い入れ、何を目指しているかというチカラは大きくて、熱意に触れると私の温度も上がるし、ここのお寺さんのように心地良さをいただくと、私も心地よく過ごさせていただけて、結果、クラスの場はとても深まる。

お越しくださる皆さまおひとりおひとりの心地よさがまた、空間を育ててゆく。

自分を労わるコトって、めちゃめちゃ大切だけれど、やっぱり後にまわされるコトが多い。
いつもそうでなくとも、せめて月に一度でも、自分の命の在りようをじっくり眺め見るじかんを持てたなら。

手足を感じて、心地良さを探して、『加減』を見つける。この『加減』というのが、めちゃめちゃ大切です。やり方だけなら、一度学べば分かる。でもホントに大切なのは、それを行うための手加減。
強過ぎず弱過ぎず、程々に。
それは、手を抜くというコトではないです。心地よい閾値を探るような感じ。
行き過ぎず、戻り過ぎず、『そうそう、ここ!』という場所。
クラスの後。
住職が撮ってくださった写真。

自分で自分の笑顔に癒されるという、何だか不思議な感覚に笑
私は私がダイスキ。これ、ナルシストとは全然違うんです。
『全肯定の境地』
アトピーをもって生まれたコトも、喘息も、この短い手足も、なんだかかわいいやつやなあって思う。
愛しい。
自分が嫌いで、避けて通ってきたような人生でした。20歳頃まで。
ヨガに出会って、自分と真っ直ぐ向き合うのが嫌で、避けて通りたい時もありました。もちろん、今もたまにあります〜。それはそれで良し^ ^
しかし、腹が決まったんです。
私は今生、命が『私』と言う人生を生きるコトに、腹を決めた。
最後の最後のその瞬間まで、生き切らせていただこう、と。
だからある意味、全くもって迷いはありません。
手段は迷います、まあまあ。しかし、腹は決まっているから、どこへ向かいたいのか、何をすべきかは、必ず、命が指し示してくれるのだと。
命の教えに従ってゆく。
私はいつも、なるべくたくさん、命からの声に耳を傾ける。
それは、正しい間違いはないし、良い悪いもない。ヒトと答えが違ってもいい。それが私なのだから。
私は私を愛し抜き、労わり尽くそう。
自分の命を大切にするコトは、自分の大切な命を守るコトにもつながる。
犠牲から何かを生むのではなく、自他共に豊かになれる策を探るコト。
日々のクラスって、キリがないほどにお伝えしたいコトがあります。でもやっぱり、いざ始まってみると、命が言ってくるコトに従い、私も共に学んでいるような感覚で。
これは、不思議ではないです。
本来、みんながそうなので。
ただ、あまりに命の声を聴かない日々を過ごしているから、聴き方が分からなくなっちゃっているだけです。
そこは、今からでも学んでゆけば良い。その感覚を取り戻してゆけば良くて。
新たに得るのではないです。本来すでに備わっているチカラだから。
あとは訓練するだけ。
日本伝統の沖ヨガは、私にその大きな教えを与えてくれました。
私は、命本来の働きにただ意識を向けただけ。意識を向けるという大切さを、沖ヨガという学びから教えていただいたのです。

生きとし行けるもの、その全てが幸せでありますように。
『祈りというチカラを忘れてはいけないよ』
私の命はいつも、こう強く教えてくれています。
5月のお寺ヨガ。

5月24日木曜の開催です。
どなたさまもお気軽にお越しくださいませ。このクラスは、中川町の方だけではなく、どなたさまもご参加していただけます。
中川町お寺ヨガのクラス情報をお知りになりたい方は、LINEグループがあり、ここへ入るとクラス案内が届きます。ご希望の方はお知らせくださいませ。
笑顔溢れるより豊かな毎日を目指して。
腹を決めたら、あとはやるだけ。

ありがとうございます。
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