1週間を故郷の愛知で過ごし、今日、北海道へ戻ってきました。
朝、名古屋にて。
つかの間のじかんを見つけて、レトロな喫茶店でぼんやりとした。
この『ぼんやり』って、すごい大切なじかん。
『何もしていない』とは、全く違う。
というか、何もしていないなんてコトは、よっぽどの修行の果てでもない限りは、ないやろう。
『ありのまんまをただ観る』。
瞑想法で言えば『ビパッサナー瞑想』などと言うけれど、このじかんは、自分の本来のペースを味わい、リセットボタンを押すような、大切なじかん。
『瞑想は科学的に効果があると実証されている』と、瞑想がブームだからか、観たり聴いたりするコトが増えたように思う。
それは、瞑想という世界が身近になったと言うコトならば良かったコトではあるけれど、人類が『地球は丸い』と知る前から、何千年も続くと言われているヨガの歴史からしたら、『何言っとるの?』、というようなコトなのかも知れない。
でもやっぱり、安心出来ればいいじゃん。
納得出来るなら、いい。
一時の間でも、たくさんのヒトが『自分の内側に還るじかんを持つ』きっかけになるのやとしたら、それは、素晴らしい!と思う。
何をして『今』と言うのか。
何をして『自分』と言うのか。
現代の、『マッハで過ぎ去る新幹線のような情報社会』がベースでは、いつまで経っても迷子かもしれない。
が、だからと言って、いきなり『命に聴け』と言われても、そのチカラがそもそも鈍っている。
ポチッとボタンを押して天気予報を調べ、危険予測は基本、外任せ。
科学的に実証されていれば、間違えなしとして、それ以上探求しない。
あの有名なヒトが言うなら間違えないやろうと、鵜呑みにする。
それでは、命の声はなかなか聴こえては来ないやろう。
じゃあ、そもそも『命の声』ってなんなんだ?
というハナシ。
ホントに、そうだよなあ。
私自身、何度そう思ったコトか。
⚫︎命ってなんですか?
⚫︎誰ですか?
⚫︎どこに居ますか?
⚫︎一体何なんですかっ!?
『自我』満載で生きてきて、いきなり『真我』に従えと言われても、そもそも自我と真我の区別すらつかない。
肉体は自分、理性知性も自分、ココロも自分。
髪の毛も爪も、流した涙も自分。
じゃあ、その髪を切ったら、切られたほうは自分じゃなくて、残ったほうは自分なのか?
今には常に、『余韻』がある。
ヒトは、すごく余韻に浸って生きる生きものやと思うけれど、余韻ってそもそも、誰なのか?何なのか?
しばらくそこに居たら、居た場所に温度が残る。実際に手で触れられる温度もあれば、目には見えない雰囲気としての余韻もある。
『目』だけで空間を観ていたなら、そのどちらにも、意識が向かないやろう。視野で認識するモノではない。
『匂い』や『肌』での感覚って、命にしたらものすごい、ものすごい!糧であろうに、なかなか発揮する場所がなかったら、生かそうとしなけれ、それはそれは、鈍る一方で。
『嗅覚』ほど命に近いモノはなくて、せっかくに西洋医学が進歩し、外科的手術や治療などで改善できる疾患があるのなら、その手もアリなんやろうと思う。
結局のトコロ、なんなんだ!?
『ありのまんま』って、なんですか?
それは、こんなコトです(笑)
私は今、とりとめもなく、つらつらと書いている。
起承転結をつけて上手く伝えようと意図的に考えている訳でなく、思考や感情の中にある様々を、ただただコトバにして書いている。
そう言うコト。
脳みそは、『ぼんやりとしたモノ』を置いておける場所。
しかし、それを言語化しようとすると、けっこう困難を極めたりする。
出来なかったりもするし。
しかし、『何とかアナタに伝えたいの!』とか、もしくは『アナタの想いを理解したいの!』とか、感情が溢れると、なぜかその言葉すらも、いらなくなったりする。
『世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う』
こんな風に歌うステキなシンガーが居るよって、この前受けた講座で聴いた。
ホントだ。
伝わらないと思考が決めたら、そりゃ伝わらない。伝えたい!と感情が湧いたら、可能性がグッと広がる。
『頭の中にあるぼんやりしたモノを、言語化しようとすると、カラダの中、ココロの中で、何かしらの運動が起こる』
こんな風に教えてくださった先生がいた。素晴らしい教えをいただいたと思った。
これまさに、『ありのまんまを味わっている』と思う。
すでにそこにある想いが、言語に乗って動き出す。
話すコト、聴くコトは、ヒトにとって『欠かせない栄養源』やと思う。
それは、技術を磨くコトだけでなく、感情の整理になり、共有共感による安心や感動やったり、様々なギフトを与えてくれる。
私は、『書くコト』が好きだ。
好きだし、なくてはならない表現方法であり、『書く』と言うツールによってつながる想い、広がる輪に、ワクワクして仕方ない!
湧いてくるモノになるべく従う。
違和感をそのままにしない。
自分をよく観るようにする。
大切にする。
味わう。
労わる。
尊ぶ。
大切にしたいというエネルギー、好きというエネルギーは、めちゃめちゃ強い!
ありのまんまって何?
考えても分からんから、分かりたいなと、とにかくあれこれ動いてみる。
歩く時、足の裏に意識を向け続けてもいいし、呼吸の数を数え続けてもいい。
(↑これけっこう難しいです〜)
ココロが動けばカラダも動き、カラダが動けばココロも動く。
ふたつはいつもつながっている。
そのつなぎ目に、心地の良い呼吸があったら。
ありがとうございます。
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