日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(╹◡╹)
長い冬休みが終わりました。
今日は、2019年の幕開けの日。
私は、2014年の元旦に北海道に移住したので、今日でちょうど丸5年。
振り返るとホントに!あっという間のじかんです。
移住して半年経った頃から、1年限定で湯治移住したモノの、『医療過疎地での健康づくりについて思うコト』が膨らみ、この地で引き続き活動してゆきたいという想いが湧きました。
そして、ここに残る決意をして。
それからは、『ゼロをイチにしたい』との想いから、『ヨガ』というフィールドがほぼゼロであった豊富町に、近隣市町村に、それはもう馬車馬のようにヨガをお伝えしに動き回った3年となり。
ここ1,2年は、自分の活動指針や意義みたいなモノがある程度定まってきて、忙しくはあれど、馬車馬というような動き方は減ってきて。
そして、
移住して丸5年となる2018年の終わりから2019年の始まりには、移住して初めて、10日も休みを作るコトにしたんです。
そう、『休みを作るコトにした』のです。
今は、完全にフリーランスとして活動しているので、仕事も休みも全部、自分で決める。
誰も決めてくれないので、自分で決めるしかない。
日々のありがたい忙しさがあり、その中で、有意義だと感じるお仕事をさせていただける喜びと、『楽しく忙しい』という、充実感など。
そんな日々を、とても幸せに、そしてとてもありがたく思っています。
私にお仕事を与えてくださる皆さま、そして日々の活動の中で出会ってくださる皆さま。
ココロからありがとうございます!!
働き方の変化について。
北海道へ移住してから約3年間は、雇用していただく中で働かせていただいていたのです。
組織に属するとは十数年ぶりであったので、ホントに!ホントにっ!学びの場であり。自分が得意なコト、そして苦手なコトがよくよく分かった3年間でもありました。
『新たな取り組み』とは、ホントに素晴らしい!なんとなく過ごしている暇などないほどに、いろんな刺激に溢れてもいる。
一人であろうと、チームであろうと、何より大変で学び深いのは『対人関係』なんだろうと思います。
多種多様な価値観がより混ざり合うチームのほうが大変さは多いけれど、その分、生まれるチカラも大きい。
どちらが良いではなく、それぞれに良さがある。
『自分にはどちらが合うか?』というのは、あると思うのですが。
『基本はひとり』であった私にとっては、ともかく、とても大きな経験となり、学びの場となった訳です。
ここからが、今日の本題です。
先ほども書いたのですが、人生最大の学びであると思っているのが『対人関係』。
その中で、最も学びが多いのが『親子関係』だろうと思うのです。
もちろん中には、気の合う親子も山ほどいるだろうと思うし、娘が10歳である親としての私は、それを目指したいとも思っていて。
目指して得られる訳ではないけれど、そうであればいいなあ、と。
切なる願い、ですね(T ^ T)
そして、43歳の娘としての私は、もうすぐ70歳となる母親と、人生最大であろうと思うほどに、学び多き親子関係が続いておりまして(^_^;)
いや、笑うトコロじゃないけれど、ここ数年かな、笑えるトコロまで来た!という感じ。
嫌にもなるし、カチンとくるし、
『なぜだ〜っ!!?』と、
海に向かって腹の底から叫びたくもなり。。。笑
けれど、ひとまず現状を受け入れているし、お互いに人間としての命がある限り、まだ可能性はあるのだ!とも思っていて。
出来るなら、お互いに人間として命があるうちに、いくらかでも穏やかに接するコトが出来ると良いなあと。
『自ら率先して変わるコト』なんだろうと思っております。
そう、『ヒトは変わらないからね』とよく言われる通りで、母親に変化を求めても仕方がない。
上手くいかないのなら、自分から変化を起こすコト。しかない。
ちなみに、『私が正しくて母親が間違っている』とは、少しも思っていないんです。
しかし、同じ時間を共有すればするほどに、どうしても感情的になる。
イヤになる!
逃げたくもなる。
ついつい裁判のように、『どちらがおかしいのかをぜひ聴いて確かめてほしい!』と、第三者の介入を求めたくもなり、、、
がしかし、母には大切なひとり娘の毎日をみてもらっていて、私はひとり、北海道にて暮らしている。
なるべく多くの機会に帰るようにしているとは言え、『ひどい母親だね』と言われたら、返すコトバもない訳です。
しかしほとんどの場合、『それをアナタに言われるコトではない』とも思っていて。
『結婚はガマンであり、子育ては自分を諦めるコトだ』という空気感が溢れている方にばかり、『早く帰ってきなさいよ』と、言われるのですね。
そしてほとんどの場合、私はきちんとハナシをしたコトがない関係性の方ばかりで。
私は基本、ヒトはヒトの勝手だと思うし、ヒトそれぞれが『納得する』位置にしか安心感は定まらないと思っている。
だから、ヒトに対してあれこれは言わない。
娘にもそうです。
娘にいつも言うのは、
とにかく、アナタが幸せであるように願っているというコト。そして、幸せの価値観とは自分自身の経験値で定まってゆくだろうから、ヒトに褒められたからとか、喜ばれたからとかではなくて、『自分の内側から湧き出てくる』コトにこそ、幸せの真髄がある。そこを探求してみると良いのでは、と。
分かりにくい言い方なのかもしれないけれど、私はそのように思っています。
がしかし、大切なヒトの人生に『関わらせてもらいたい』とは強く思っているので、私は、大切な家族や友達に関わらせてもらいたいから、日々いろいろ考え、試行錯誤をする毎日。
がしかし、やっぱり、どうするかと結局決めるのは、本人。
本人です!
ぜひ、ぜひそうであって欲しい。
もし後悔が生まれた時、それを他のせいにしないためにも。
母と私の大きな違い。
私は、なぜこれほどに母と上手くいかないんだろう?
これについてはもう、3千回くらい考えました笑
いや、3万回くらいかな笑笑
とにかく、山ほどに考えたんです。
なぜだ、なぜだ、なぜなんだ〜!、と。
結局思うのは、ヒトの生き方や想いを尊重したいと思う私と、自分が良いと思う枠にハメ込んでヒトに幸せになって欲しい母とのギャップは、どうしたって埋まらない!という結論。
しかし、大切に想ってもらっているコトは、よくよく分かってます。
伝わってもいる。
だから、それに対して大きな感謝もあり、何とか上手くいかないモノだろうかと、試行錯誤し続けている。今もなお、その道中です。
2019年、元旦。
10日ほどのお休みが終わり、北海道へ戻る日。
『山ほど作ったというおせち料理を少しくらいは食べてから帰ったらどうか』と、何度も、何度も何度も100くらい言ってもらったので、『じゃあ帰り道に食べるから少しだけちょうだい』と。
私は、日頃からたくさんの量を食べれないので、ほんの少しで良いから。おかずもいらないから、と。
渡された包みが、えらく重たい。。。
きっといつもの通り、山ほど入っているんだろうなあと思いつつ受け取り、それを北海道に着いた新千歳空港で開けてみたらば、と。
はい、山ほど出ました〜!!笑笑
なぜ親って、子どもにたくさん食べさせたいんでしょう?笑笑
いつ会っても、まず開口一番に言われるのが、
『ちゃんと食べてる?痩せたんじゃない?』
『そんな会うたびに痩せれる訳ないでしょーよ!』
と、これ定番のやつです笑
がしかし、これほど愛されているんだなあと受け取れば良いんだ、とも思っていて。
なのにやっぱり、言い返したくなる!
それはやはり、愛されているんだと安心感があるから、なのかな。
嫌われたらどうしようとは、思っていない。その不安は、なぜだか私の中にはない。
私なら、ここまで上手くいかないなら仕方がないかなと、諦めたくなるとも思うのだけれど。
そして、お互い命があるから、生かされている今だからこそ、こうして存在する。
いろんな意味で、重たいお弁当なのです。
どちらかの命が終われば、こんな何気ない日常はその瞬間に過去になる訳で。
この、やけに重たいお弁当は、母の愛情。。。
私はやっぱり、なるべくそれを、素直く受け取れれば良いんだろうけれど。
でも。
でも、やっぱりひと言、言いたくなる!
『こんなにたくさん食べれやへんって言っとるじゃんね〜!!』
と。
これはきっと、甘えです。
お母さんには言ってもいいって、許してもらえるって。
2019年。
今年こそ!
言われたコトになるべく波風立てず、穏やかな親子関係を目指してゆけたら。
イヤなコトはイヤだと言おうと思いながら。
無理はせず、でもいくらかでも、穏やかにハナシが出来たら。
お互いの命があってこそ。
お互いの命があるのは、底なしにありがたいコトだから。
2019年の始まり。
重たいお弁当を全部食べよう!と張り切ったけど、やっぱり食べ切れなくて、ごめんなさいと残した元旦でありました。
親の愛は偉大。
親って、切ない。
子どもに嫌がられても、何度うるさいと言われても、それでも、世話を焼き続ける。
親って、ホントにスゴイなあ。
偉大!
ありがとうございます。
コメントを残す