日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(╹◡╹)
少し前のコト。
SNSに上がっていた投稿に、何だかよく分からないけど、とても違和感を感じたのです。
私はキライだと思えば、そのヒトに正直に『キライ』だと言いたいと思う。やっぱり好きだと思えば、その時に『やっぱり好き』と言えばいいんだから。
一言一句同じではないけど、こんなコトが書いてありました。
ヒトが何を思うのもどうするのも、基本『そのヒトが良ければいい』のだし、私がそれに対して、どうのこうの言うコトでもない。
ただ、ものすごくフォロワーを持っている彼女の発言に、『その通りだ〜』『自分が気持ちよくだよね』と、ものすごい数の『いいね』がついており。
それが、なんだか、よく分からないけれど、ビックリしたような、複雑な気持ちになったのです。
私もそう思うのですよ。
自分になるべく真っ直ぐでありたいし、明るい方へ、気持ちの良い方は行けばいい。
自分の気持ちを大切にするのが基本、だとも思う。
苦手なヒトと無理にお付き合いする必要もないし、イヤなら一歩離れたらそれで良い、と。
ヒトとヒトとの間にて、すごく必要で肝心なのは、『距離感』だと思っているから。
近付きたかったら、自分から詰めたらいい。相手に一歩引かれたら、そうなんだなあと察すればいい。
自分と相手の気持ちの両方で『間合い』が決まるのだから、私がどうするかは私の勝手。相手がどうするかは相手の勝手。
それで良い。
よく思うのは、イヤならあれこれ言わずに距離を取れば良くて、わざわざ近付いて行き、あれこれ指摘するコトもないってコト。
そして、それが仕事であるなら、基本は自分がどうしたいのか、それをどうこうする場ではないから、なるべくスマートに、やると決めたらやれば良い。
どうしてもイヤなら、合わないのなら、なるべく相手に迷惑をかけないようにとしながら、時期を見定めて辞めたら良いんだと思う。
ヒトとの相性は大切だけれど、仕事という場で様々なヒトたちが集まれば、大なり小なり、いろいろあるモノだから。それをいちいち考えていたら、前には進まない〜
体調を崩すほど働くコトはないし、一度決めたら何が何でもやらなきゃなんない、と言うコトもない。
しかし、出来るコトなら、辞めようと思うならなるべく早めに伝えたらいい。立場が大きいのなら、なおさら。
ある日会社へ行けなくなるほど、胃に穴が空くほどに、働くコトはないんじゃないかと思っている。
そうやって必死に働いていただいた我慢料を、病院に払うのも辛いし。
だから、『区切り』があるんだろう。
年度末みたいな。
それに向けて、自分の在り方を考えても良いし、新たなスタートを切ってもいいのだと思う。
私はそんな風に思っているけど、これが良いか悪いかはよく分からないし、そもそも、そうやって判断するコトでもないだろうと思う。
私にとってはこれが楽であり、しっくりくるから、そうしています。
今の私もひとつ、区切りをつけるコトにしたコトがある。肩の荷が下ろせるコトへの安心感と、新たなチャレンジにワクワクする気持ちでいて。
しかし、しかーし、です。
大の大人が、好きだと思ったから『好きだ』と言い、イヤだと思ったから『イヤだ』と言い、またやっぱり好きかもと思ったから、『やっぱり好きです』と言うなんて、、、
コトバって言うのは、断片的な訳です。
だから、私は流れを知らず、部分的なトコロだけを見たコトに対して、違和感を持ったのかもしれない。
しかしです、なんでこんなに違和感なんだろうと考えると、そこに少しでも『相手のコトを考える隙間はないのかな?』と思ったからなんだと。
ヒトのために生きている訳ではない。
基本、自分のためです。
誰も傷つけずに生きてなどいけない。
しかし、
好きと言われたらイヤな気はしないだろうけど、嫌いだと言われたら、それなりに傷ついたりもするやろう。にも関わらず、やっぱり好きでしたと言われても。
私なら、もうその方とは近い関係にはならないだろうと思う。
コトバって、チカラがある。
癒すコトも、そして傷つけるコトも。
関係性が近いヒトになら、言いにくいコトも言いたい。それは、それだけ大切だからこそ。さらに分かり合いたいと願うから。
しかし、ほとんどの人間関係が、『ほどほど』であり。
それって、さみしいコトではなく、広い意味で『気持ちよく暮らしてゆくため』だと思うのです。
イヤなのに笑う必要はないけど、ほどほどにしておいてば済むのなら、それでいんじゃないか、と。
これって、『事なかれ主義』かな?
臭いものにフタをしている感じ?
コトを荒立てないのが、この国の風潮だろうと思う。それが良いとは思っていない。
しかし、好きや嫌いの感情を、湧いて来たままに外に出してばかりいたとしたら、世の中は収集つかなくなるだろう。
だから、『大切なヒト』という存在がいる。必要なのです。
このヒトになら言ってもいい。
素直になれる。
大丈夫って思える。
恋人でも親友でも夫婦でも、いろんな関係性があるだろうけれど、そんなかけがえのない存在。
そんな存在がいたなら、いろんなコトに強くなれるし、柔軟性も持てるのだと思う。
感情を撒き散らすコトはなく、相手にも気持ち良いように、『お互いさま』にて暮らしてゆけるのは、ホントの自分で在れる場所があるから。
たとえばヨガを学ぶヒトならば、『マットの上』というのもそうだろう。比べるコトのない世界。穏やかなマインドが広がるじかん。
自分に自分が癒される。
自分の存在って、こんなに自信になり、豊かさの糧となるのだと、私はヨガに出会って知りました。
偉大なる大自然とつながっている、自分という存在。
なんて素晴らしいんだろう!と。
そして、ヒトへの信頼も同じく大切なのです。
ひとりを楽しむ。
ヒトとのじかんを楽しむ。
その両方があったなら、最高にハッピーではないか、と思う訳です。
命の教えに従い、歩んでいきたい。
時に、命を苦しめるコトがあるかもしれない。我慢だってするだろう。
しかし、それを自分が分かっていられたら、それでいい。
ここなら納得できると言う場所を探し、折り合いつけてゆけば。
今はこんな時なんだねーって。
繕いたかったら繕えばいいし、時に嘘をついても良いと思う。
そうしたければ、それで。
ヒトに迷惑をかけない生き方を探すのではなく、自分らしく生きながら、自分の居場所を探しながら、最愛のヒト、そしてかけがえのない仲間を得てゆける人生で在れたらいいな。
むやみやたらにヒトを傷つけたりしないほうが良いから、あまり感情的にばかりならないように。
そのためにはどうしたら良いかは、大切!
そして、いくら思考を使って理論的に考えても、収まらない気持ちがあるとも思うんですよ、人生って。
サイエンスとファン。
その両方が大事。
だからと言って、『こうすると良い』なんて具体策はないのですが。
ただ、自分に湧いた違和感をじっくり見つめるコトって、すごい大切。
今夜の私は、そんな感じでした。
自分も大切に、ヒトも大切に。
ヒトはヒトによって生かされているのだから。
自分の存在を教えてくれるのは、ヒトだから。
バランス良く在れる場所を探しながら、探求し、歩む毎日。
それが人生。
何気ない日々は宝。
宝です。
それは、よくよく分かっているコト。
おまけ。今日のヒトコマ〜
『リバーシ』をトコトコと。




ピンク、青、ピンク、青。
脳の活性化、全身のバランス、コーディネーショントレーニング^ ^
カラダ動かすって、楽しいな!
あれこれ考えず、スッキリします^ ^
ありがとうございます。
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