あとりえ華。
豊富町のおとなり、稚内市の勇知というトコロにある。
小高い丘にポツンと一軒建っている、とってもステキな家。
一階は、画家であるご主人のアトリエ。二階にはカフェがあり。
仲良しのご夫婦の家であり、仕事場でもあり、カフェであり、ご主人の作品を飾るプチギャラリーでもあり。
窓が大きく、見晴らしがとても良い。
まるで額縁の中にある絵のような、素晴らしい景色。
この日は曇っていて、利尻富士は見えなかったけれど、充分に素晴らしい空間。
机の上にあるハーブが良い香り。
東京から来てくださった石井三郎・久恵先生、そして久恵先生の大親友の斉藤さん、そして、お誘いした天塩町で酪農を営んでいる満保さん。
満保さんに車を出してもらえた、ホントにありがとう!
5人でのんびり、お茶タイム。
そのうち、画家であるご主人がテーブルに来てくださり、あれこれお話を。
高橋英生さん。
とても素晴らしい油絵をお描きになる。
英生さんの絵を観ていると、なぜかとてもやさしい気持ちになるのだ。
83歳になるのやそう。
そして今は、最後の油絵、とても大きな作品を書いているそう。
『なぜ最後に?』とお伺いすると、長年油絵を描いてきたコトにより、呼吸器が限界なんやそうだ。
油絵の具はシンナーと同じようなモノやそうで。
そして、そこからがビックリやった。
『だから、今から日本画を勉強しようと思っている。生涯勉強だよ』、と。
確かに、生涯勉強だと思っているけれど、有名デパートに置かれるほどの絵画をお描きになる画家さんが、83歳にして、新たな境地を目指されるという。
そしてこう言われた。
『いつまでもゲンキで長生きしたいからね。』
その時の笑顔が、今でも思い浮かぶ。
これまさに、『とらわれない、こだわらない、はからわない』という様子。
命をかけてきた油絵を、今となって手放す勇気、スゴイな。
ヒトは歳を重ねるほど、生きてきた道のりが雰囲気に現れるモノだ。
英生さんのやわらかな人となり。
それはまさに、そうやってキャンバスに向かい、小さな野花を丁寧に描く姿そのものなんやろうと思う。
だから、英生さんの絵を観ていると、やさしい気持ちになるのだなあ、と。
『そこに住んでいないと描けない。』
『観て描かないと描けない。』
のやそうだ。
北海道の北『宗谷』で育ち、パリなどにも住みながら、絵を描いて来られた。
そしてまた、宗谷に戻り、たくさんの絵を描かれている。
絵で生計をたてるようになったのは、60歳を過ぎた頃からやそう。これまたスゴイ。
絵画の世界。
写真で撮れば一瞬だが、油絵の具を重ねて重ねて、丁寧に描かれた景色や花は、またひとしお。
私は、絵心がない。
ないというからないのだが、なくても良いかと思っているから、まあそうなのだ。
『描きたい!』と、命の内側から湧いてくるモノは、とくにない。
でも、絵を眺めたり、書を眺めたりするのはとても好き。
ワクワクしたり、凄みが伝わって引き締まる想いとなったり、文化芸術って、ものすごく命をくすぐってくる。
それは、作り手の『命の分身』だからやろう。
『精魂込めて作られたモノ』って、もし手元にお譲りいただくとなれば、覚悟しなければならない、とも思う。
どうしたって、邪険に扱うコトは出来ない。そんなコト、出来る訳がない。
帰りの車で石井先生が、『謙虚でとても素晴らしい方だったね』と言っていた。
ホントにそうだ。
偉ぶる様子もなく、謙虚で、笑顔がステキで。
私も英生さんのように、ステキに歳を重ねてゆけたらいいな。
英生さんをいつもやさしく気遣う奥さまの淹れてくれる紅茶が、とても美味しかった。
あとりえ華。
ホントにステキな場所。
まさにここに行くと、『命の洗濯』が出来る。
素晴らしい時間に感謝します。
また行きたい!
行こう!
ありがとうございます。
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