日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(╹◡╹)
沖縄県から遥々、日本のてっぺんへ来てくださった整体師・パーソナルトレーナーの照喜名弘彦先生の講座、ついにラストの3講座目です。
◎1講座目の様子→★★★
◎2講座目の様子→★★★
2講座目は豊富温泉での開催でした。
講座終了後、豊富町の癒しスポット『ミルクカフェフェルム』さんにてランチタイムを♪
ひと息ついてから、稚内市へ向かいました。
ラストの講座も、豊富温泉の講座同様、満員御礼での開催となり。
照喜名先生が講座の中で何度か言われていましたが、『どこの誰が何をするのかよく分からないような講座に、皆さんよく来てくださいまして』と。
もちろん、沖縄県からいらっしゃる照喜名先生の講座だとは知っていたモノの、実際何を学べるのかは、分かるようで分かりにくくはありました。
私自身も今回、照喜名先生には初めてお会いした訳で、前情報は、今回照喜名先生をオーガナイズしたもんちゃんコト門間奈月先生から届いたモノ、そして照喜名先生のブログ、そして私自身が照喜名先生と直接やり取りさせていただいたいくつかのメールです。
照喜名先生は、『ヨガインストラクター』のような分かりやすいモノではなく、いわゆる『ボディワーク』です。
カラダをゆるめる、とろける、一体感。
普段、ヨガや気功や太極拳、そして、もんちゃんのメインワークである『コンディショニング』などを実践している方ならイメージしやすいのかもしれないけれど、日常生活のみでカラダを使っているヒトからしたら、きっと、『よく分からない、何なの?』と言われそうなテーマです。
実際、豊富温泉での講座についても、『具体的に何をするの?ヨガのようなポーズをとったりするの?』と、何度か聴かれたりもしました。
そんな時、よくよく私自身もお伝えさせていただいている『ゆるめるをとても分かりやすく教えてもらえる。その手法は当日のお楽しみで❤︎』と答えていました。
今思い返すと、知らないコトにたいして、極論は『分かりません』が答えなのですが、私の知っている、かつ信頼しているヒトを介して、すでに、ちゃんと伝わっていたモノが、実際にお会いする前からあったんやなあと今となって改めて思います。
言うなれば、それを『氣』と言い、それを『以心伝心』などとも言い。
私は、様々な場所で様々なヒトにお会いします。
今回のように、誰かをオーガナイズしたいから一緒に、と声をかけていただくコトもよくあり。
そんな中、自分が一度も受けたコトのない先生の講座をサポートするのは、けっこう難しいコトでもあります。
でも今回のように、まるで会ったコトがあるように、観てきたかのような安心感を持って進められている時は、すでに、どこかの何かのスイッチが入っており、ただ必要があるコトを、粛々としてゆけばよいのみで。
結局はすべてがエネルギーなんだ、『氣』なのだ。
そして、私という命がその氣を受信して、『GO!』と言えば、進めばよいのです。
今回のように、とてもしっくりと、想像以上の気付きの場をいただけるコトがあるけれど、時には、『あれ?』と、何だか方向性がズレてきてしまったり、こんなハズじゃなかったな、と結果となるコトも、もちろん!あります。
それも含めて、必要なコトしか起こらない、というコトです。
たとえ苦戦しても、それはそれが必要があって起こったコトであり、だからこそ味わえたコトであって。
良かったか悪かったかではなくて、起こったコトをどう受け止めて、何につなげたり、その上でどこへ向かえばよいのかと、その起こったコトを『生かして行けばよい』だけのコトで。
そして、ここが大事なトコロ→結果オーライで上手く行っても、たとえトラブルとなっても、それは同じである、というコト。
想いが湧いて動いたから、動いたコトの結果が出た、と言う。
命は、思考的に良くなるようにと、そもそも働いていないと思います。
時に、ボタンの掛け違えのようなコトが起こったとしても、自分の在り方や受け取り方ひとつで、それすらが良くも悪くもなるだけです。
結局、自分は自分でしかなく、いつ何時も、命を心底信じ抜き、その『普遍的な部分に委ねてゆけば良いのだ』と言うコトであり。
転がされている、というコトではないけれど、転がるように動いています、実際。
言ってみれば私はただの『媒体』で、私を通していろんなモノがつながり、広がったりしてゆくコトの繰り返しな日々で。
今、3講座が終了し、3講座目の感想を書き留めておこうとしたら、なぜか、こう言った内容が、私の命から湧いてきました(笑)
私が今、これを改めて認識していて、それは、昨日今日で、命をじっくりと観るじかんに恵まれ、そこに委ね、そこにくつろいだからこそ、今ここにある境地なのやろうなあ。と思うのです。
なんてステキな今^ ^
3講座目のコトも、記録として書いておきまーす(笑)
3講座、アプローチが違えど、結局照喜名先生が何より伝えたかったのは、『ヒトそれぞれの命が、そのヒト本来の状態となるようにすればいい、そのためには、ゆるまった時に出てくる何か、その何かしらに委ねていけばよいのだ』というコト。
それを時には『丹田』と言い、時には『腹』と言い、『軸』とも言い。
感じ方はヒトそれぞれやけども、その何かしらは必ずある、それがアナタ自身そのモノなのやから、それが出やすく強まりやすい状態を作るコツをマスターしてみたらいいよ。というコトで。
いくらチカラであらがっても、
引っ張られて終わりですー
おっとっと〜(お菓子じゃないよ笑)
馴染むように、にじむように。
ファーストタッチの大切さ。
大人数の中でも会場を丁寧にまわって、観てもらいました。
労宮。手のひらにあるツボです。
湧泉。足の裏にあるツボです。
ツボをいくら知識で覚えても、それは知識でしかない。
思考の領域です。
そこに実践を加えて、感覚で確かめてゆくコトを繰り返すと、『体感覚』として身につき、イメージとして生かせるようにもなります。
そこまで行けたらいいな。
私自身、日本伝統のヨガである『沖ヨガ』に出会い、呪文のように『丹田』だと『命に聴け』と言われ、いつしかそれが体感覚となりまして、私の根っことなりました。
普遍的なコトであると腑に落ちて、今となっては、やるかやらないかではなく、それ自体が私のベースとなってます。
それを、今になってこうしてまた、ヨガではないアプローチにてとても分かりやすく学べる場に恵まれたコト。
やはりこれは、必然としか言いようがなく、だから間違いなく、ただただ、日々に尽くして今に尽くしていればよし。そう腹を決め、それを認識し続けて行けば良いかな、と思います。
照喜名先生、ヨガを学ぶ方はぜひ、出会ってみてほしいです。
そうでない方ももちろんです^ ^
学んだその日から生活に生かせる知恵が溢れています。
講座に出て、『へぇー、すごいな〜』と思ったまんまで終わってしまったら、それは、映画を観に行ったコトと変わらない。
非日常のまんまで終わってしまう。
日々に取り入れ、実践を重ねてこそ、学びが結果となり、生かされてゆきます。
私にとって今回の2日間は、いつになく響くコトが多くて、振り返って反復してゆきたいコトが多かったです。
私はよく、クラスにご参加してくださる方にも言っている、『一度クラスを受けてくださり、まずは3つ覚えて帰る、寝る前にもう一度やってみて、そして、そのうちひとつでも続けばハナマル💮』と。
自分自身でも、そうしています。
しかし今回、3つでは到底足りないほど、身にしてゆきたい教えが溢れてました。
ぜひ、なるべく多く取りこぼさず生かして行けたらと、新鮮な感動をこうして、新鮮なうちに記しています。
どんなに素晴らしい教えも、貯め込めば腐ってしまう。
どんどん出して実践し、さらに循環させるコト。
大切にするコトで生かされる。
日常の所作のすべてに、氣がうつり、それがいかようにも広がるし、安定感を生んでくれます。
柔らかくフワッと合わせ、馴染んでとろけてゆくような合掌の感覚を、逃さず味わってゆけたらいいな。
照喜名先生、ぜひまたお会い出来たらいいです。
◎照喜名弘彦先生ブログ→★★★
ありがとうございます。
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