日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(╹◡╹)
元旦に、こんなブログ記事を書きました。
こちら→★★★
久々に読み返したけど、幸せな悩みですね笑笑
いや、悩みなのかなf^_^;
これ。とはよく分からないけども、両親に愛されている私。それは間違えないなと、改めて。
何度も何度も『いらないよ』と言っても、『いーから持っていきなさい』と、渡される。
今回も『いらないよ』と言ったけど、『小さなおにぎりならいいでしょ』と、故郷である愛知県から北海道へ帰る日、実家の玄関で手渡された笑
これ、きっとホントに贅沢な悩みではありますが、『分かるーーーー!』って言ってもらえるか、『全く分からない』って言われるか。
二分するような気がします。
北海道で暮らしているシェアハウスのオーナーである『さとみんぬ』コト堂脇さとみさんには、『いいじゃん、ありがとうね〜ってニコニコでもらっておけば。もし食べ切れなければ、ありがとうって気持ちを伝えて廃棄してもいいんだし』と。
ホントにね。
ホントにそうよね。
『食べ切れないほどはいらない』という想いも、確かにある。
そして、『とにかく子どもに持たせない』という親の想いは分からんでもない。
それなら、たとえ食べ切れなくても『ありがとう』と笑顔で受け取ったらいいじゃん。さとみんぬが言うように、ホントにそれだけのコトだ。
いやーホントにそうだなあと、さとみんぬに言われた時には思った。
けれど、素直にそうは思えないほどに私は、母に対して『感情的になっている』のだなあ、とは、この時に気付いたコトなのでした。
親愛なるさとみんぬ、いつも大きな愛をありがとう。
感情スイッチが入る。
私は、いたって冷静な『つもり』。
つもりではいるけれど、実際は、感情スイッチが『パチンっ!』と入っていたりする。
日常って、こんなコトがいろいろあるんだろうなと、この何気ない会話で改めて思ったんですね。
そもそも感情とは『揺れ動く』モノだから。
ある程度は保たれている時があったとしても、基本は、常に揺れ動いている。
冷静を装っていて、今回みたく感情的になっていると気付くと、それが少し、くすぐったいような不快さがあったりするf^_^;
それは多分、母に対して冷静でいたいと願っている自分や、母に影響されていない、惑わされてはいないぞ!と、安定的にしていたい自分と。
そんな、様々な感情が絡み合う。
そう。
結局はこれはすでに、かなり感情的なんだわ笑笑
こんな風に、自分を客観視出来るって良いですよね。これもまた、冷静さを取り戻すひとつの策だと思うのです。
感情スイッチって、いつ入る?
感情スイッチが入って、どのあたりまで揺れ幅が広がると『感情的になっている』となるんだろう。
これは、怒りだけではなくて。
悲しみも、喜びも、ぜーんぶ。
喜怒哀楽を様々に表現しながら生かされているのが、私たち人間だから。
怒ってもいい、泣いてもいい。
どれだけ悲観してもいいのだから、それをいつまでも『引きずらない』コトが大切。
『発想の転換』
『気分転換』
抜け出すチャンスを捕まえるチカラこそ、人生に豊かさをもたらす策ではないか、と。
結局。
私は親に愛されていて、ありがたいのです。
そう。
分かっている。
でもやっぱり、母にはどうしで感情的になる。
それはきっと、『私を理解してほしい』から。
なかなか理解してもらえない(と私が思っている)から。
そして、絶対的な愛情を感じるから、『嫌われないと言う安心感』があるから。
確かに愛されてはいますが、親子関係って、ホントに難しいと思う。
『難しいと思うから難しいのだ』なんて、禅問答みたいなコトを言われたりもしますが、難しくないとは、まるで思わない。
私には、難しい。
いつか大きく後悔する日が来ないために、今ここで出来るコトを。
といつも思っているのも、正直な気持ち。
親が生きていてくれるうちに、私も生きていられるうちに、仲良し親子になれたらいいなと思うのも、ホントの気持ち。
そんな、ツラツラと書き綴る私の胸のうち。
少々のザワつき。
ありがとうございます。
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