日本のてっぺん・きた北海道を拠点に『沖ヨガインストラクター』として活動しているまなみんです(╹◡╹)
昨日、45歳になりました。
誕生日だからと言って。
正直、
とても嬉しい!と言う気持ちはないです笑笑
でも、
いつの時からかな。
離れて暮らす母には、メールではなく電話をして、生み育ててくれた感謝を伝えるコトにしています。
子どものうちは。
きっと、祝ってもらえるコトがとても嬉しかった。
いろんなプレゼントをもらえるのが嬉しかった。
そんな風に、
愛をたくさん分けてもらって、満たさてゆくと。
次は、
その愛を分け合ったり、高め合えたりするコトに喜びが向くようになってくると感じています。
自分ひとりの楽しさや豊かさから、
まわりの人々や様々なコミュニティの中で広がる喜びや、豊かさへと。
もちろん、
楽しみや豊かさの感覚は、
ヒトそれぞれ違うのです。
だから結局、
気の合う仲間が集うのだし、
そこでまた、広がるし深まるのだし。
でも、時に。
まるで違うと感じる感覚の方とお会い出来るコトで、なお。
自分のコトがよく見えたり、気付けたりもします。
とにかく。
自分という『確信的な核』を基盤として、
周りにいてくださる人々や、日々起こる出来事が様々にあるからこそ、
私は私を認識し、そして理解し、
日々、私の人生は深まってゆくように感じているのです◎
突然の訃報を受けて。
つい、数日。
ここきた北海道は豊富町に移住して、間もなく出会えたステキな女性の、突然の訃報を受けました。
ポカーン、となった。
唖然とする時間を過ごしました。
時が止まるとは、まさにこのコトですね。
ココロが、フリーズしてるのです。
なぜなら、受け止めきれないから。
まずは何事も『受け止めるコト』から始まる訳で。
受け止められないうちは、
腹がすわっていない。
腹が決まらないうちは、それに向き合うコトも出来ない。
彼女は、私の10歳年上。
55歳。まだまだ若いのに。。。
私より大きな声で、
私よりゲンキであり、
いつお会いしても弾ける笑顔で。
ひと言で言うなら、
『肝っ玉母さん』でした。
いつも、素晴らしい花束を作ってくださる。
それに、
どれだけゲンキを分けていただき、
それが勇気となったか。
たくさんの愛に支えられて。
親戚縁者がひとりもいないこの地にて、
負けず挫けず過ごしてこれたのは、
言うまでもなく、
私ひとりのチカラではありません。
ヒトは必ず死ぬんです。
そう、よくよく知ってます。
ずーっと、前から。
でも、こうして。
分かっていると言いながら、分かっていないのだよ、と。
先逝くヒトが、
痛いほどに教えてくれるんですね。
残された私たちは、
その悲しみや苦しみ、
様々なジレンマを背負いながら、
それでも、生きてゆく。
それが、
与えられた役割なんだと思うのです。
与えられた寿命について。
『何であんなステキなヒトが!?』
『早過ぎるよね』
と。
思うコトは、様々にある。
残された娘さんは、大丈夫だろうか、とか。
でも。
ヒトそれぞれ与えられた寿命があり、
私たち人間には、それを越えるチカラはないのだろうし。(もしかしたら、ロスタイムみたく少々延びる奇跡という仕組みもあるのかもね〜)
だから。
何気ない毎日は奇跡の連続なのであり、
当たり前に在るように思っているコトは、まるでそうではなくて。
『また明日ね〜』なんて、別れ際に言ったりするけれども、その明日の保証はひとつもないのだよ、と。
先立つ方が、イヤというほどに教えてくださるのです。
これ、ホントに痛いなあ。。。
昨晩は。
今年最後の『お寺ヨガ&ストレッチーズ』でした。
中川町の極楽寺さんにて。
その、クラスの始まりに。
こんなようなハナシを、
皆さまにさせていただきました。
『命に感謝』
このひと言が、何となく唱えるスローガンにならないように、と。
そして。
じっくり90分という時間を、丁寧に自らの命と向き合う時として過ごし、家に帰ったら。
大切なヒトに『ありがとう』と伝えてくださいね、と。
もしかしたら、そのひと言に救われるかもしれないから。
なるべくに。
そのうちに、とか、またにしようとかしないで、
今思ったコトは、今のうちに具体的に動けるように、と。
やっぱり。
『思い立ったが吉日』なんですね。
たくさんのステキな笑顔をありがとうございました。
そしてこれからも、
アナタのその、明るく眩しい笑顔を忘れずにいますね。
でも。そうやって日々を重ねるうち、
記憶って、だんだんと薄れてゆくんです。
それでも。
生き残った私は、
生きたかったアナタの分まで命を大切に日々を生かされ、
様々な出来事や覚えておかなきゃいけない記憶を重ねながら、
失った重みを埋めてゆきたいと思います。
そして。
また、ふとした時に、アナタの笑顔を思い出す。
そのたびに、
いくらかは。
前進出来ている私で在れますように。
生き切らせていただかないと、
また会えないんだろうし、なあ。
いつかその時を迎えたら、
見送った人々がそこに居て、
飲み会でもやってくれてたらいいな笑
あ、生まれ変われるチャンスが来たなら、どしどし先に行ってくださいね〜^ ^
そう思えば。
姿形を持って生きているコトは、
辛く厳しいコトなのかも知れないな。
夢と希望を持ちながら。
想念だけの世界は、
もっともっとシンプルなのかも。
なーんて。
その真相は、私には分かりません。
お釈迦さまが言われた通り、
死んでからのコトは、死んでみないと分からないのだろうと思います。
何気ない日々こそが宝で在ると、改めて教えていただけた、45歳の誕生日。
今日は。
45歳の2日目です。
そんな今日も。
大切に過ごさせていただきたいと思います◎
生かされている今に感謝。
スローガンではなく、改めて刻みつけるコトバとして。
ありがとうございます。
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